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ノーベル平和賞を受賞したレイマ・ボウィが語る、真の平和構築に必要なこと【気鋭のイノベーター】

イスラエル、パレスチナ、ウクライナ、そしてミャンマーの軍事クーデターなど、世界のどこかで今も続く戦争に傷つけられる多くの人々。中でも最も被害を被るのは、非力で罪のない子どもたちだ。リベリア出身の平和活動家、レイマ・ボウィは、内戦で傷ついた元少年兵たちのトラウマと向き合い、自身の体験を語り継ぎながら真の平和構築のために尽力する。
ノーベル平和賞を受賞したレイマ・ボウィが語る、真の平和構築に必要なこと【気鋭のイノベーター】
Photo: Ulf Andersen / Getty Images

「17歳のころの私は、LAレイカーズの大ファンでバスケットボールが大好きな、明るいごく普通の少女でした。そして、高校を卒業したら医学部に進学して小児科医になることを夢見ていました。私の暮らしていたコミュニティはさまざまな民族が混在しており、貧しいながらも楽しいものでした。テレビを持っていたのは私の家族だけだったので、よくみんながテレビを見に家に集まっていたものです。ですが、ある日突然内戦が勃発し、私の人生は一変したのです」

かつてアメリカ・ジョージタウン大学の女性の平和安全研究所主導の戦争体験を語り継ぐ「オーラル・ヒストリー・プロジェクト」でのインタビューで、自身の体験をこう語り始めたレイマ・ロバータ・ボウィは、1972年、リベリア・モンロビアに生まれ育った。リベリア出身の平和活動家でソーシャルワーカー、そして「ボウィ平和財団」の創設者兼会長として活動する彼女は、2003年に第二次リベリア内戦終結に向け、女性の非暴力平和運動「Women of Liberia Mass Action for Peace」を組織し、キリスト教徒とイスラム教徒の女性が共同で非暴力の平和メッセージを発表する集会を開催。このデモで、当時の大統領チャールズ・テイラーに和平協定に署名するよう圧力をかけたことでも知られる。

2011年12月10日、ノルウェー・オスロ市庁舎で開催されたノーベル平和賞授賞式。左から、リベリアのエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領、リベリアのレイマ・ボウィ、イエメンのタワックル・カルマン。Photo: Nigel Waldron / Getty Images

しかし、そんな彼女の名を世界的なものにしたのが、2011年に受賞したノーベル平和賞だ。2005年にリベリア国内で行われた自由選挙で、ともに内戦を終結させた協力者のエレン・ジョンソン・サーリーフを勝利へと導いた彼女は、アフリカ初の女性大統領誕生の立役者でもある。もう一人の協力者であるタワックル・カルマンとともに主導した「女性の安全と平和と権利獲得のための非暴力闘争」が評価され、2011年に同賞受賞に至った。その後2014年の国際女性デーのスピーチで、彼女は受賞当時のことをこう振り返っている。

「リベリアにおける平和維持を成功へと導いたのは、女性たちを中心とした地道な草の根の運動でした。今回の受賞でそれがいかに不可欠であるかを、世界に証明できたと思います。同時に、指導的地位に女性が就くことは、平和維持にとって有効であることも。つまり、リベリアが経験したことは、特にアフリカ全土の女性にとって平和をもたらす原動力になり得る、ということなのです」

女性たちがもたらす、平和への一歩

2024年5月9日、LAにて開催されたオーロラ賞授賞式の人権と人道フォーラムにてスピーチを行うボウィ。Photo: Victor Boyko / Getty Images

もう一つ、彼女の名を世界に知らしめたのが、人々の心に寄り添うソーシャルワーカー/セラピストとしての顔だ。1990年代のリベリア内戦は、権力闘争と天然資源(主にダイヤモンドや木材)の違法取引が絡み合い、大規模な内紛へと発展し、この内戦で20万人以上が死亡し、100万人が首都モンロビアや近隣諸国の難民キャンプに避難を余儀なくされた。特に反乱軍は7〜8歳の少年たちを徴兵し、麻薬やアルコールを使って彼らを操り、性暴力や殺害を強要するなどの蛮行を行い、これに対して国際社会から強い非難が寄せられた。そして内戦終結後にボウィが目撃したのは、大人に都合良く利用され、心に傷を負ったまま通りに放り出され、国内にあふれかえった元少年兵たちだったと先のインタビューで振り返る。

「リベリア内戦が始まったとき、私は17歳でした。この紛争により、私はほんの数時間で子どもから大人になったような気がしました。そして、紛争が激化する最中に母親となった私は、終結後に心も身体も傷ついたまま放りだされた元少年兵たちを目の当たりにしたのです。そんな彼らを前に、私ができることはないだろうかと考えました。そして、彼らに寄り添うことが平和を回復するための一歩だと考えたのです。同時に、それが次世代に対する私たち女性の責任だと。平和活動を行うには、まず傷ついた人々のトラウマを治癒することが最優先だと感じたのです」

そこで彼女は本格的に彼らの治癒に取り組むため、2001年にリベリア・モンロビアのマザー・パターン健康科学大学(Mother Patern College of Health Sciences)でソーシャルワークの芸術準学士号を取得し、2007年アメリカ・バージニア州ハリソンバーグのイースタン・メノナイト大学で紛争変革(Conflict Transformation)を専門とする修士課程を修了。その後、国連訓練研究所から「紛争の予防と平和構築に関する研修」の証明書と、「カメルーンにおける紛争の犠牲者のトラウマ治療」及び「リベリアの非暴力平和教育」受講証明書を取得した。

その後少年たち一人ひとりのトラウマと向き合い、癒しのプロセスに没頭する中で、彼女は内戦で傷ついた自分自身のトラウマとも向き合うようになり、それがある一つの理解へとつながったという。

「『トラウマは、心と魂の傷。 時間の経過とともに、身体的な外傷と同じように治りますが、その傷跡は決して消えることはありません』と、研修中に誰かがこう言ったのを今でも忘れません。身体的トラウマと、感情的・心理的トラウマは同様で、いつか癒されるものではありますが、常に思い出すものでもあります。それでも、傷跡が残っていても生きて働くことは可能ですし、その傷を抱えたまま前進することもできます。私は、彼らにこのことをわかってほしかった。これが、私をセラピストへと導いたモチベーションなのです。彼らのように虐待された人が、虐待された人として人生を終えることのないようトラウマを治癒するには、私のように同じトラウマを持つ人が最高のセラピストになり得るのです」

互いの違いに目を向けるのではなく、すべての人を受け入れる

2022年6月23日、ポーランドのクラクフにて記者会見を行い、ウクライナ侵攻を終わらせるための即時交渉と、世界中で平和、正義、平等のために活動する女性団体の力と可視性を高めることを求めた。左から、ノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズ(アメリカ)、タワックル・カルマン(イエメン)、レイマ・ボウィ(リベリア)。Photo: NurPhoto / Getty Images

そんな彼女自身のトラウマ克服のきっかけのひとつとなったのが、ドキュメンタリー映画『悪魔よ地獄へ帰れ』(2008)のナレーションを務めたことだ。

田園地帯を逃げ惑う人々。そして、背後に響き渡る銃声と悲鳴。小刻みに震えるカメラが、凄惨な殺戮の現場をとらえる──。自宅を追われたとき、妊娠7カ月で2人の幼い子どもを抱えていたボウィは、当時必死に逃げた記憶を辿りながら、カメラに向かって淡々と語り続ける中で、自らが抱えてきたトラウマが治癒されていくのを感じたという。そして、そのときの心情を彼女は文学雑誌『Literary Mama』に対し、こんなふうに語っている。

「『ママ、今朝はドーナツ一個だけしか食べてないから、すごくお腹が空いた』と息子が言いました。 私の子どもたちは、生まれてからいつもお腹が空いていて、いつも恐怖を感じていたのです。銃声や悲鳴が聞こえることのない、どこか遠く離れたところでこの子たちをベッドに寝かせて、お腹いっぱいにさせてあげたい。心からの安心をもたらしてあげたいといつも思っていました」

2008年にニューヨークで開催されたトライベッカ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したこの作品は「女性、戦争、平和」シリーズの一環として2011年10月から11月初旬にかけてアメリカ全土で放映された。 そして現在に至るまで、ボスニア、アフガニスタン、イラク、南アフリカ、ルワンダ、メキシコ、ケニア、カンボジア、ロシア、スーダン、コンゴ民主共和国、ヨルダン川西岸などの紛争地域および紛争後の地域で放映され、平和教育のツールとして使用されている。

「この作品を観た女性たちの反応は、国や社会が異なっていても驚くほど似ていました。彼女たちは自分たちの問題を解決するために、団結する方法について話し合い始めたのです。水を吸収したスポンジは、絞り出さない限り再び水を吸収できません。人も、自分の中にトラウマがある限り、他人の存在に目を向けることはできません」

現在も、元少年兵たちに寄り添い、自身の体験を語り継ぐことで、平和活動に尽力するボウィは、二度とこのような悲劇を繰り返さないために必要なのは、“調和”だと説く。

「この世は、ダブルスタンダードが蔓延しています。私は、私に嘘をついた社会と、私を守ってくれなかった大人たちに対し、ずっと怒りを抱えてきました。ですが、子ども時代にとても地に足の着いた教育を受けた私は、互いの違いに目を向けるのではなく、すべての人を受け入れることを教えられました。人は皆、お互いを必要としながらこの世界に暮らしています。だからこそ、調和を重んじなければならない。私は、怒りを抱えながら生きるより、この教訓に従って生きることを選んだのです」

Text: Masami Yokoyama Editor: Mina Oba