「1年は電気が使えないと思う、もっとかも。でもみんな元気だよ」。旧首都ヤンゴンに住む従兄弟からメッセージが届いた。幸いにも親戚は無事だったが、今後どうなるのか不安で心配しているようだった。3月28日、ミャンマー中部でマグニチュード7.7の地震が発生し、85秒間続いた。恐ろしいことに、ミャンマーからのニュースが届くまでにはしばらく時間がかかった。そして、ようやく伝えられ始めたときには、すでに壊滅的な状態だったのだ。
第2の都市マンダレーではインフラの60〜80%が機能せず、現首都ネピドー内は現在いくつもの建物が倒壊。サガインでは90%の建物が失われ死の臭いが街中に充満し、歴史的なアバ橋の崩壊に続いて救助活動も遅れている。ニュースでは主に死者数が取り上げられており、軍事政権は死者数約3,600人と発表している一方で、米国地質学会は1万人以上としている。死傷者の統計を隠蔽することで知られている軍だが、異例の措置として国際社会全体に支援を要請。チャリティ団体は資金援助を訴えている。しかし、多くの人が(個人的にも公的にも)問うているのは、最も支援を必要としている人々にどのようにして援助が届くのかということだ。
「確かにミャンマーでの活動は困難を伴います」2002年から2006年まで駐ミャンマー英国大使を務めたヴィッキー・ボウマンは語る。「しかし国内には、国際NGOと連携して活動している現地団体が数多く存在します。彼らは緊密に連絡を取り合い対応をしているので、寄付金が軍事組織に渡ってしまうことを心配する必要はありません」とボウマン。ミャンマー国内での経験から多くのコミュニティリーダーを個人的に知っており、いくつかの団体が前向きな活動を行っていると述べる。
被害の大部分は軍が占領している地域で発生しているが、一部反政府勢力の支配地域にも及んでいる。地震の救援活動を優先するため停戦が約束されたが、特定の地域では衝突が続いているとの報告も。モンスーンによる豪雨が始まるなか、復旧作業はあらゆる方面から妨害されている。「これは巨大地震です」「これほど壊滅的な被害は見たことがありません。しかも、人々が経済的に最低の状態に陥ってから4年後のことです」とボウマン。マンダレーはかつて、インドと中国の貿易拠点として繁栄していたが、紛争のために国境が閉鎖されたことを指摘。「そして、昨年の洪水の影響で、農業もまた大きな打撃を受けていた最中だったのです」
さらに、貧弱なインフラとインターネット環境(軍によってしばしば遮断される)も、救助活動を妨げる要因だ。警察は「寺院の瓦礫撤去を手伝っている写真はプロパガンダになりうる」と被災者を助けておらず、私の従兄弟の一人はそれに憤慨している。猛暑(日中の気温は40度前後)と電力不足も被災者の生活を苦しめている要因となっており、「人々は屋外で寝ています。ヤンゴンでさえほとんど電気が通っておらず、水を汲むことができません」とボウマンは強調。しかし、昨年2月に導入された徴兵法によって復興に不可欠な若者の多くが国外に流出し、医師たちも徴兵を恐れてボランティア活動に慎重だ。
貧困も蔓延り続けている。ボウマンによると、「米国からの援助(トランプ政権によって事実上廃止された)は、昨年ミャンマーで行われた人道支援の3分の1以上を占めていた」が、「ほぼ完全に一夜にして削減されました。現在ミャンマーは中国から1400万ドル、英国から1000万ドル、ノルウェーから800万ドル、そして今のところ米国からは200万ドルの援助を受けています」と話す。クーデター以来、米の価格は石油同様400%近く上昇し、国民の3分の1が国連の貧困ラインを下回っている。「数百万人が地震とは無関係の深刻な食糧不足に直面しています」「国連はこの問題に全力をあげるべきです」と匿名のNGO職員は明かす。多くの市民団体は軍の報復を恐れ、自分たちの活動に影響を及ぼさないよう公の場で話すことを躊躇することが多い。
同時に世界的な危機が相次ぐなか、支援はどこから来るのだろうかという疑問もある。自国の経済的苦境に直面しているなか、英国民の多くが自分たちとは関係がないと思っている国への援助を優先させるのは容易ではない。だが、植民地支配が1948年まで続いたミャンマーと英国には実は大きなつながりがあるのだ(日本も1942年から1945年まで、ビルマ現ミャンマーを占領していた過去がある)。今、私たちが愛するものの多くが消え去ってしまった。「ビルマ(ミャンマーの旧国名)人は何千人もの命を失っているだけでなく、文化や歴史も同時に失っているのです」と、マンダレーに深く根ざしたライターでアクティビストのミミ・エイは投稿。マンダレーでは複数の仏塔が崩壊し、その過去と歴史が失われつつある。
昨年11月のバンコク滞在中、私は24時間だけミャンマーを訪問した。市内から少し離れ、蛍の光に照らされた美しい場所で過ごした午後はとても素晴らしいものだった。他方で、そこに住む従兄弟たちは重圧を感じており、3人のうち2人は徴兵を避けるために軍から身を隠していた。それでも彼らは「私たちは幸運な方でまだ食べ物を見つけることができる。ほかの人たちは本当に苦労している」と希望を持ち続けていた。
「この状況から生まれる唯一の希望は、政治的な変化です」と、匿名のNGO職員は述べる。「民主主義を望むのはまるで月に願いごとをするようなもの(現実的ではない)です。ただ、せめて政治的な安定を望みたい。これは単なる紛争ではなく、15年前のシリアのような状況なのだとことを人々に知ってもらいたい」。ある活動家は私にこう語った。「脆弱な民主主義の時代に入った後、新型コロナウイルス、クーデター、地震と次から次へと災難に見舞われ、それでもなお自国の“政府”が私たちを殺そうとしている。今、本当に安息の地がないと感じています」
このような状況下で私たちに何ができるのか、いくつかの方法をご紹介する。寄付をする場合には、以下のような地元とのつながりが強いチャリティ団体を選択することを薦めたい。
ほかにも、ミミ・エイやメイ・ミャットといったコンテンツクリエイターや活動家、 イラワディ、ラジオ・フリー・アジア、デモクラティックボイズオブブルマから最新情報を入手することも可能だ。
加えて、ミャンマーについてもっと知ってほしい。レシピ本『Mandalay: Recipes and Tales from a Burmese Kitchen』では、茶葉のピクルスサラダや、カラメルにした干しエビとカリカリに揚げたニンニクで作る調味料、バラチャウンなどローカル料理が紹介されている。かつてミャンマーが世界にとっていかに重要な国であったかについて書かれたタン・ミン・ウーの著書や、ジョージ・オーウェルの名著『ビルマの日々』、ビルマ日本占領下時代の回想録『A World Overturned』を読んで、ミャンマーの過去と今を想像してほしい。
日本語で日本からの寄付を受け付けている団体はこちら。
Text: Kathleen Baird-Murray Adaptation: Nanami Kobayashi
From: BRITISH VOGUE
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