全世界に14億人以上いるカトリック信者、それを束ねるのが総本山のバチカン、ローマ教皇庁だ。ここのところ教皇フランシスコの体調が芳しくないと日々報道され、教皇の回復を世界の信者が祈っている。ちなみに日本の信者数は総人口の約0.3%で45万人程度、欧米やラテンアメリカ、ほかのアジア諸国や中東・アフリカに比べてもごく少数である。2025年はカトリック教会の聖年でもある。25年に一度しか開かない聖なる扉が開き、そこをくぐると罪が清められるといわれ、世界中から信者がバチカンに押し寄せる。信者でなくとも永遠の都ローマを、聖なる年に旅したい人はいて、日本の旅行社の「聖年ローマへの旅」広告も散見される。バチカンは教皇との謁見などでは信者の訪問を優先するが、カトリック教会の扉はすべての人、イスラム教徒や仏教徒、無宗教の人など非キリスト教徒にも開かれているので、バチカンへの訪問者数は例年より倍増している。
この世界中から押し寄せる人々の魂を救うのがローマ教皇の務めであるため、今年の教皇職は例 年よりはるかに激務だ。そんな中、万が一のことが起きたらどうなるのだろう? 教皇は日本の天 皇と同様、基本終身制だ(現教皇の前任ベネディクト16世は高齢を理由に異例の退位、日本の現 上皇から天皇への譲位と類似したことが起きた)。教皇は独身男性であることが義務なので、世襲制ではなく選挙による点が天皇制とは異なる。
その選挙を描いた映画『教皇選挙』が日本でも公開中だが、先行公開された諸外国では大評判でロングランとなっている。ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞4部門での受賞に続き、つい先日のオスカーでも作品賞は逃したが、脚色賞を見事獲得した。なぜこれほどまでにこの映画は話題なのだろうか?
ローマ教皇は神の代理人であって神ではない。世界中から集まった約100人の枢機卿たち全員が次期教皇の候補者として互選を行い、人間の権力欲やライバルを蹴落とそうする駆け引きやバトルが繰り広げられる教皇選挙というドラマを、リアルに描いているからだろう。選挙は完全密室で行 われ、外部との接触を一切絶ち、スマホを含む通信機器の持ち込みも基本禁止だ。実際、過去には、国王や各国政治指導者が、自分にとって有利な人物を教皇に据えようと選挙介入し、教皇が何年も決まらない事態も起きた。教皇が長い期間不在であると、人々は信仰の拠り所を失い不安になり、それが治安の悪化に繋がったという。映画では「使徒座空位」というカトリック用語を使用、この空位は望ましくないため、なるべく早く新教皇を選ぶ責任が首席枢機卿にあるというわけだ。だが、教皇選挙は現実の政治や社会と無縁ではない。例えばガザ紛争などの中東情勢やロシアとウクライナの戦争など、これらに関わる宗教紛争、また性的なマイノリティーであるLGBTQ+の人権問題など、21世紀の国際的、また社会的な問題が背景で蠢いており選挙に影響を及ぼすのである。
教皇選挙には実に750年近い歴史がある。対して、昨年11月下旬のトランプ大統領が選出され たアメリカ大統領選挙は250年弱の歴史しかない。それでも選挙なので類似点も多くある。次の教皇を前任の教皇が指名できるかと思えば、3分の2の枢機卿の賛同を獲得する必要があるので、そう簡単ではないところもそのひとつだ。また、前大統領と対立する候補者が新大統領になれば、「回転ドア」と揶揄されるほど、副大統領や国務長官をはじめ政府関係者に総入れ替えが起きるが、新教皇誕生時にも、基本的に教皇庁内の主要ポストの要職は一新される。日本の選挙より人事の流動性が高いというのも興味深い。もうひとつは保守派と改革派のライバル関係で、映画では見事に描かれているが、ここにもアメリカの共和党VS民主党と類似した構図が見られる。
米大統領選挙で大きな争点になり、共和党のトランプが掲げたものに反中絶や反LGBTQ+の選挙公約がある。自然な方法での新しい命の誕生を最重要視することから、キリスト教は中絶や同性婚には反対の立場だ。そのためトランプは米国のプロテスタントのキリスト教福音派やカトリックの票を多く獲得して選挙に勝った背景がある。
だが、現教皇フランシスコは「同性愛者は神の子であり法的保護を」与えられるべきだと訴え、同性愛を犯罪とする法律を非難する声明を出してもいる。現米大統領よりも、多様性への理解が深い人物だとは言えるだろう。映画『教皇選挙』は素晴らしい作品だが、(教皇の死からの選挙への流れは)あくまでフィクションの世界にとどめてもらい、現教皇の体調回復と、今しばらくの在位を願いたい。
Profile
松本佐保
国際政治と宗教の関係を専門に研究する。日本大学教授。主な著書に、『バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘』(中公新書)、『アメリカを動かす宗教ナショナリズ ム』(ちくま新書)などがある。
Text: Saho Matsumoto Editor: Yaka Matsumoto
READ MORE