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アマンダ・ゴーマンの軌跡──文学界の新星から世界的アイコンへ。

バイデン大統領の就任式で文字通り、世界の注目の的となった23歳の詩人、アマンダ・ゴーマン。社会現象化したアマンダ・ブームを客観視しつつも、いつの日かアメリカの大統領になる夢を描き、「変化の足がかり」になりたいと語る彼女が見据える先を聞いた。
アマンダ・ゴーマンの軌跡──文学界の新星から世界的アイコンへ。

アマンダ・ゴーマンの自宅のクローゼットの奥には、一体の人形がしまい込まれている。決して望まれてここに来たわけではないこの人形が、持ち主の生活をどれだけ知っているかは疑わしいところだ。23歳の詩人、ゴーマンはバイデン大統領の就任式で、自作の詩「The Hill We Climb(私たちが登る丘)」を朗読し、そのエネルギッシュなパフォーマンスで、政権交代という式典本来の目的をかすませるほどのインパクトを残した。

今回のインタビューで、彼女はこの就任式よりはるか前にロサンゼルスの大型ショッピングモール、ザ・グローブにあるアメリカン・ガールの店舗で起きた、気まずい一件を振り返った。ゴーマンとは彼女のロサンゼルスでの拠点(シャーベットカラーの外壁を持つ建物の、ワンベッドルームのアパートメント)からもほど近い緑地で落ち合った。彼女は手入れの行き届いた芝生の盛り上がった場所にブランケットを敷き、体を預ける。そして小首をかしげると、穏やかだがきっぱりとした口調でこう切り出した。「私がこんなことを言うのを聞いて怒る人もいるかもしれませんが……」

少女向けの人形を販売するマテル社傘下のブランド、アメリカン・ガールがゴーマンを招いたのは、最新の「ガール・オブ・ザ・イヤー」として発売される人形、《ガブリエラ》のお披露目イベントで、店舗に集まる少女たちに向けて詩を朗読してもらうためだった。このイベントが開催された 2017年1月1日当時、18歳のゴーマンはハーバード大学の1年生で、冬休みに実家のあるロサンゼルスに戻り、ニューイングランドの寒さを逃れて一息ついたところだった。すでにこの時点で、ゴーマンはロサンゼルス青少年桂冠詩人に(14年に第1号として)任命され、朗読パフォーマンスの世界では全米で一目置かれる存在だった。イベントの前夜、アメリカン・ガールのチームは彼女に《ガブリエラ》のプロフィールを説明した。その内容を聞いて、これがホラー映画ばりの恐ろしい代物だったという彼女の言葉に、私たちも心から同意した。

「ガブリエラはアートが大好き。詩の力を使って、自分を表現する“声”を見つけ、コミュニティを変えていこうとしています」と、この人形のウェブサイトの説明文には書かれている。ちなみに《ガブリエラ》はその後、廃番となっている。確かにゴーマンはアートが大好きで詩の力を使って、自分を表現する“声”を見つけ、コミュニティを変えていこうとしている。《ガブリエラ》は褐色の肌でカーリーヘアだ。ゴーマンは褐色の肌で、ナチュラルヘアだ。加えて、「この子は黒人で、発話障害があるというんです!」とゴーマンは振り返る(これは、彼女自身にも発話障害があることを踏まえた発言だ)。そして茶目っ気たっぷりに、細い編み込みをアップにまとめた髪に爪を立ててみせた。さらに驚くことに、彼女の双子の姉妹、ガブリエルも親しい人たちの間ではギャビー(ガブリエラの愛称でもある)と呼ばれているのだという。

有名人としての知名度がもたらす代償。

それでも、ゴーマンは翌日のイベントで、依頼通りに詩の朗読を披露した。アメリカン・ガールに問い合わせたところ、この人形はゴーマンのプロフィールをもとにつくられたものではないとの回答があった。ともに送られてきた写真には、《ガブリエラ》と全く同じ衣装を着た、朗読パフォーマンス中のゴーマンの姿があった。「イベント出演をキャンセルしたら、この黒人の人形を買いたがっている女の子たちをがっかりさせてしまうと思ったからです」と、ゴーマンは出演を決めた理由を説明する。それからの1年間、《ガブリエラ》の広告が視界に入ったり、喜んだ友人から「あなたの人形を見たわ!」というメッセージが届いたりするたびに、彼女は目を背け、自宅の視界に入らない場所にしまい込まれている、ビニール製の人形に思いを馳せたという。

心の広いゴーマンは、このイベントにまつわる体験についても、ことさらに騒ぎ立てるつもりはないという。だが、「有名人」とは、本人の同意なしでその知名度を利用されることもあるものだ。そのことを思い知らされたこの一件への複雑な感情は、数年を経た今でも残っている。それは主に、この手の過熱した賞賛が、彼女の詩人・作家としてのキャリアの飛躍と分かち難く結びついているからだ。「自分の頭の中で、思い込みが生まれていたんです。つまり、私は一種の……」と言うと彼女は間を置き、ひざに置いていた両手を上げてかぎかっこを作るしぐさをしてこう言った。「“ロールモデル”にならないといけない、という思い込みです」

このインタビューが行われたのは2月のある日の午後だった。ロサンゼルスの冬としても驚くほど暖かい日だったこともあり、私は学校をサボって緑地に繰り出しているような、少し後ろめたい気分に陥った。とはいえ、ゴーマンの超過密なスケジュールの中で、かろうじて確保できたのがこの午後の時間帯しかなかったというのが実情だ。前の週に、彼女はヒラリー・クリントンのポッドキャストにゲスト出演していた。そして次の週には、オプラ・ウィンフリーとのパネルディスカッションが控えている。それでも、ゴーマンは私たちの分までブランケットを持ってきてくれた。彼女が座っているブランケットには、12星座の絵柄が刺繍されている。(「双子なので、自分が魚座なのはとても気に入っています。2匹の魚がかたどられた星座だから」という。双子の姉妹とはベストフレンドだそうだ)。また、その質素な暮らしぶりには恐れ入るほどだ。二度目の待ち合わせの時には、彼女は自分のランチ(タッパーに入ったベジバーガー)と、私のためにもおやつを用意してくれていた。グルメポップコーンとベア形のグミ、そしてキャラメルだ。ランチの時には、短い時間ながら、マスクやフェイスシールドを外した彼女の顔を見ることができた。その横顔は、スーパーモデルの黄金時代を彷彿とさせる。彼女が笑うと、その声は周囲に響き渡る。芝生の上で日光を浴びながら、ゴーマンはまだ短い人生の中で経験した長い旅路について思いをめぐらせる。「とても多くの努力が必要でした。それは私だけではなくて、家族や私の村の人たちもそうです。そうやってここにたどり着いたんです」と彼女は言う。ここまで話したところで、タイダイ柄のレギンスをはいた小さな子どもが、よちよちとこちらに近づいてきた。それを見たゴーマンは話をやめ、芝居がかったしぐさで体をそらしてみせる。それを見た子どもはケタケタと笑った。2枚重ねのマスクが顔の大部分を覆っているので、こちらにはわかりようがないのだが、ゴーマンはにっこりと笑っているように見えた。

就任式後に訪れた“フィーバー”を越えて。

「この記事の書き出しを『ある日、私はロサンゼルスでアマンダ・ゴーマンに会った』にするつもり?」と、彼女はからかうように話しかけてくる。彼女が言葉を口にすることに、この上ない喜びを感じているのは、はっきりと見て取れる。自分が話している文章が面白い韻を踏んでいるのに気づくたびに、彼女はいっそう早口になる。しかもたびたび、そうしたことが起きる。例えば、ラルフ・アバナシー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアという著名な牧師2人の演説のスタイルについて論じる時もそうだった。「2人が言葉を走らせ、勢いづかせるそのスタイルは、独自の『声の伝統』と言えるでしょう」と彼女は語る。ゴーマン自身もこの伝統を受け継ぎ、 言葉で、あるいは言葉にならない音で、静寂を埋めていく。数年前から親交があるヒラリー・クリントンとの関係について尋ねた時も、頭の中で答えを組み立てている間に、「ドゥ・ドゥ・ドウドウ・ドウ・ドゥー」と弾んだ声を出してから、愛情を込めてこう答えた。「本当に素敵なグランマです」と。1月の大統領就任式の後に話をした、ほかの民主党関連の大物政治家や有名人についても、彼女は同じように、家族の関係になぞらえた。バラク・オバマは父親のよう、ミシェル・オバマはクールな叔母さん、というように。このインタビューの後も数週間にわたり、ゴーマンと彼女のイメージを至るところで見かける機会があった。『タイム』誌ではイエローのドレス姿で表紙を飾り、誌面にも、マヤ・アンジェロウの詩を思わせる鳥の入った籠を手にした写真と、ミシェル・オバマを聞き手にしたインタビュー記事が掲載された。また、社会現象となったミュージカル『ハミルトン』の作り手たちが企画した、ブラックヒストリー月間を祝うイベント「Ham4Progress Presents: The Joy In Our Voices」にもリモートで出演した。国連が定める国際女性デーのパネルディスカッションにも、ヒラリー・クリントン、米下院議長のナンシー・ペロシ、モデルのクリッシー・テイゲンらとともに参加。また、時事問題についてのツイートも、何度もメディアの見出しを飾った。ワシントンDCやパームスプリングスの壁画にその姿が刻まれ、その生き生きとした肖像は、ストリートアーティストのシェパード・フェアリーが手がけた、あの有名なバラク・オバマのポスターを思わせた。

大統領就任式の後、ゴーマンは自身が住むロサンゼルスのアパートメントからリモートで、著名なトークショーに次々と出演した。大統領の座にあったトランプの存在、さらには新型コロナウイルスのパンデミックにより、世の中には喜びやエレガンス、前向きな気持ち、知性、希望をもたらすものが圧倒的に不足していた。だが、ゴーマンがテレビの画面に姿を現すと、エレン・デジェネレスジェームズ・コーデントレバー・ノアといった人気トークショーのホストたちは、冬眠から目覚めたかのように活気づいた。彼女はホストを務めるコメディアンたちとも互角に渡り合い、そのウィットと才能を遺憾なく発揮した。また、夜のニュース番組では、CNNのアンカー、アンダーソン・クーパーからステージに上がる前に必ず唱えるおまじないの文句を再現するように促された。「私は、自らを縛る鎖を断ち切り、世界を変えた自由の闘志の血を引く、黒人作家の娘。彼らが私を呼ぶ」と、ゴーマンはその言葉を唱えてみせた。その言葉を聞いたクーパーの顔は目に見えて真っ赤になり、それまでの冷静さはなりを潜めた。「おお」と、彼は声にならない声をあげた。「あなたは本当にすごい人だ」と。

家族も周囲も想定できたアマンダの「成功」。

「彼女のパフォーマンスが、スタンディングオベーションで終わらなかった例を見たことがありません」と話すのは、ゴーマンのパフォーマンスに数回関わった経験を持つ、ステージディレクターのアーロン・キスナーだ。私が取材した友人や同僚、家族もみな、彼女の成功は全く意外ではないと口を揃えた。母親のジョーン・ウィックスは、アマンダ・ゴーマンをブッキングすれば「必ずやってくれるという安心感を得られるはずです」と断言する。ゴーマンにとって、聴衆とは黙ってただ話を聞く存在ではなく、人々を鼓舞し、外に目を向け、市民の権利を自覚するよう促す言葉をつむぐ上でのコラボレーターなのだ。彼女はいわば、思いやりの心を持つインストラクターであり、人種に関する大切な理論を、意欲のあるアメリカ国民にわかりやすく伝える翻訳者なのだ。ゴーマンの伝えるメッセージは常にポジティブだ。インタビュー前に私は数時間をかけて、彼女の詩を頭に叩き込んだが、そのために使った手段は、彼女のパフォーマンスをYouTubeで見ることだった。危機に瀕する地球の気候に関して、彼女は「アースライズ」という詩を書いた。白人至上主義者の暴力という、現代社会を覆う危機については、「イン・ディス・プレイス(アン・アメリカン・リリック)」を書いた。この彼女にとって最も野心的な作品は、トレイシー・K・スミスがアメリカ議会図書館が選ぶ桂冠詩人に任命される式典で読み上げられた。さらに17年にはゴーマン自身が、この年に新設されたばかりの全米青年桂冠詩人に輝いている。

黄色はゴーマンのイメージと深く結びついたカラーだ。しかもそれは、彼女があのアイコニックなプラダ(PRADA)のコートを就任式でまとう前からの話だ。インスタグラムでは、彼女の姿に似せた、「あみぐるみ」と呼ばれるかぎ針編みのドールを作ってアップしているファンもいる。最初に会った時、ゴーマンは上下揃いのスウェットシャツを着ていた。クレア ヴィヴィエ(CLARE VIVIER)のこのセットアップは、白地にマリーゴールドイエローのタイダイ模様が大きく染め抜かれていた。「すごくビリー・アイリッシュな気分」と、彼女は歌いだしそうな節をつけて話す。

ただし、ゴーマンは、間違っても物議をかもすことはないタイプだ。「私は叩いてもほこりひとつ出ない人間ですからね」と彼女は言う。健全なイメージを保つことの大切さは、ロサンゼルス南部のワッツ地区で中学の英語教師をしている母親から常日頃言い聞かされていたことだ。ゴーマン家は、文芸と社会での成功を目指すというヴィジョンで、固く結びついている。ここでいう「成功」とは、できる限り多くの読者の心を揺さぶる、ということだ。彼女は、少なくとも記録に残る場面では、汚い罵り言葉を使わないように気をつけている。だが、私が彼女の前で、ついそうした言葉をもらした時には、深くうなずいてこちらの心情に同意を示してくれる。それでも、いつも冷静な彼女が、どうしても四文字言葉を吐きたくなるほど不快な場面に遭遇した時には、彼女は大きな声で、そのスペルを叫ぶ。ただし母親はカットする。例えば「s-h-*-t」というように。私が思うに、ビリー・アイリッシュとゴーマンの共通点は非常にわかりやすく、魅力的な世界観だろう。

未完成、未発売のベストセラーを持つ詩人。

カルチャーの世界では、聖人の出現を待望する思いが常に存在する。文化の多様性を重んじる、リベラルな人たちの間では、ゴーマンにその役割を担わせようとする動きがある。では、ゴーマン自身は何を求めているのだろう? 目下のところ、彼女が必要としているのは、2冊の本を仕上げるための時間と静かな環境だ。1冊は『Change Sings: A Children's Anthem(原題)』という絵本、そしてもう1冊が、「The Hill We Climb(原題)」を含む待望の詩集だ。どちらも発売は9月と少し先だが、すでに予約だけでベストセラー入りを果たしている。どちらかの本の一節を紹介してほしいと頼むと、ゴーマンは言葉を濁した。まだ完成していないのだ。多くのファンを持つ彼女だが、自身の著作に対してはガードが堅い。プレッシャーもある。実際、「自分の最新の実績のレベルを保つにはどうしたらいいのだろう?」と、声に出して自問自答する場面もあった。

バイデン大統領の就任式の実行委員会から、この式典で詩を朗読する詩人に選ばれたとの連絡があったのは、20年12月のことだった。当初、彼女はこのオファーを光栄に感じた。早速リサーチを始め、これまでに就任式で朗読された詩の解読に励んだという。そのなかには、彼女が「魂の祖母」と呼ぶマヤ・アンジェロウや、オバマ大統領の1期目の就任式で朗読を行ったエリザベス・アレクサンダーの作品もあった。だが、次第に不安が押し寄せてくる。ハーバード大学のキャンパスからロサンゼルスに戻ってきたこの年の3月以来、彼女は自身のアパートメントにほぼこもりきりだった(ちなみに大学は、20年春に優秀な成績で卒業している)。ロサンゼルスで新型コロナウイルスの感染が拡大する中、飛行機に乗るなど、考えるだけでも恐ろしいことだった。さらに、暴徒が連邦議会議事堂を襲撃した1月6日の事件が、火に油を注いだ。一部の聴衆がどんな反応を示すのかは彼女もわかっていた。今回の大統領就任式は今までと違うものになる。しかもどう違うかは予想がつかず、計り知れないほどのスケールで異なったものになるという予感があった。

これらの葛藤を語るゴーマンの口調には、どこか距離感がある。自分は家で式典を見守る側の人間で、就任式が行われた連邦議会議事堂前の舞台に立ったのは別人だった、と言わんばかりの口ぶりだ。「私以外の人ではできなかった、ということはないですね」と彼女は私に打ち明ける。「でも別の若い詩人を選んで、『5分間の詩の朗読をお願いします。あ、そうそう、こちら(議事堂)は焼き討ちに遭いかけたところなんです。じゃあよろしく』なんて声をかけたなら……」と言ったところで、彼女は思いをめぐらせる。そのよく響く声は消え入りそうなほど小さくなったが、勢いを取り戻すとこう続けた。「その人の心には大きなトラウマが残ったことでしょう」

就任式前にアマンダがアドバイスを求めたのは……。

そこで彼女は、頼りになる人たちにアドバイスを求めた。そのひとりが、20年5月にジョン・クラシンスキーのYouTubeチャンネル「サム・グッド・ニュース」で初めて会って以来、名声との付き合い方について相談をしていたオプラ・ウィンフリーだ。彼女はマヤ・アンジェロウを手本にするようにと助言した(「オプラにテキストメッセージを送るたびに、ちょっと心臓が止まりそうになる」と、iPhoneを持った腕を伸ばし、冗談交じりに彼女はこぼした)。一方、母親のウィックスは、自分の役目を果たすようにと娘に伝えたと、教師として長時間の勤務を終えた後、ズーム経由のインタビューで話してくれた。それは、ゴーマンが作家として、民主主義の価値に貢献する義務を負っているとの考えからだ。「実際、私がアマンダに伝えたんです」とウィックスは言うと、数秒間、目線を天井に向けた。「ほんの数秒の時間さえあれば、私が体を張ってあなたを守る、と」。そう語り、ウィックスは就任式の前夜、ホテルの部屋で娘に覆いかぶさったというエピソードを明かした。

就任式のわずか5日前、ゴーマンはプラダのある社員にメッセージを送った。プラダはこの時、彼女がコネクションを持つ唯一のメゾンだった。するとプラダからは、あのコートとカチューシャが送られてきた。おでこを横断するようにつけると、赤いカチューシャは間が抜けて見えたので、ウィックスが「ティアラや王冠」のようにつけるようにアドバイスしたという。ゴーマンはメイクも自分で済ませた。就任式の日は、午前中には雪がちらつく、肌寒い天候だった。ステージで、ウィックスは娘にブランケットをかけて温めようとした。ゴーマンは寒さに震えていた。だが突然、その震えは止まる。朗読が始まるまでの時間、「彼女が緊張した様子を見せることはなかった」と、この日のステージディレクターを務めたキスナーは内幕を明かす。「(朗読を行う舞台に向かう)ドアを開けて足を踏み出す前に、彼女は緊張と折り合いをつけ、乗り越えていた」という。

朗読を済ませた後も、ゴーマンはすんなりとお役御免とはならず、宿泊先のホテルに戻るまでに1時間を要した。最初のインタビューの際、緑の芝生に座っていたゴーマンは、持ってきたトートバッグから日記を引っ張り出した。せき払いをしてから、彼女はこの日の夜に書いた日記を、途中の数行をアレンジしながら読み上げた。「恐れる気持ちを持ってもかまわないのだ、ということを私は学んだ。さらに、素晴らしいものを追求してもかまわないのだということもわかった。たとえそうしても、私が人の注目を集めないと気が済まないブラックホールになることはない。むしろ、超新星にしてくれるのだ」

就任式での朗読を思い返すと、際立っていたのは、まるで指揮者のように舞う、その繊細な両手の動きだ。ゴーマンはこの手の動きはガードレールのようなもので、自身にとって発音しにくい子音をゆっくりと話すように自分に言い聞かせるための手段として編み出したのだと言う。その両手は「奴隷の血を引き」と言う一節ではひらひらとした動きとともに下降し、「シングルマザーに育てられた」と話す時は小刻みな指の動きとともに上昇した。一方で、「やせぎすの黒人の少女」という彼女を描写した唯一のフレーズは、この詩の中ではスリリングなまでに浮いているように、私には感じられた。このフレーズを聞いたとたん、人々を鼓舞する呼びかけ、一般大衆を動かすべく作られたこの詩の壮大な内容が、ゴーマンという個人の視点へと収れんする。ここまで堅持されてきた「私たち」という視点はいったん棚上げされ、聴衆はこの詩を読み上げるゴーマン個人の人生に目を移す。大勢の聴衆に向けて書く作品は「小論文のようなもの」と彼女は言う。「主題があり、序論があり、結論があるわけですから」

就任式で朗読された詩の論旨は、以下の部分に集約されている。「だが民主主義は一時的に行く手を阻まれることがあっても/決して永久に敗れ去ることはない」。楽観的に考えることができなくなっていた多くの人にとって、この2行は、トランプ的な主義主張からの脱却を高らかに告げるものだった。ゴーマンの著作を出版するバイキングはこの「The Hill We Climb」のテキストをペーパーバックで緊急出版した。本のページ上で見ると、この詩に綴られた言葉はまた趣が違い、朗読と比べると切迫感は薄くなる。これらの言葉を生き生きと感じるためには、ゴーマンの歯切れがよく、明快な声の力が必要なのだ。母親のウィックスは、娘アマンダに、化学反応を起こす特別な力があることを知っている。「ほかの詩人と比較した時に、もう一人のほうが才能が上、ということはあり得ます。でも、その場の雰囲気を変えられる力を持っているのは、アマンダなんです」

圧倒的な名声と影響力という呪縛。

詩人のダネス・スミスは、ゴーマンに対するメディアの熱狂的な反応を、「まるで彼らが彼女の詩を作り上げたかのようだ」と評する。スミスは以前からゴーマンのパフォーマンスを目にしたことがあり、彼女のすべての作品にみられる「政治的な心と頭脳、そして歴史やコミュニティに対する関心」を賞賛してきた。ゴーマンも『ロサンゼルス・レビュー・オブ・ブックス』誌に寄稿した、出版されたものとしては初となる詩の評論で、スミスの詩集『ホーミー』を詳細に読み解いている。この中で、ゴーマンはリベラルな価値を持つ人たちの間で蔓延する「悩や暴力のフェティシズム的崇拝」を断じている。だが今や、彼女自身がこうした文化的風潮に取り込まれようとしている。より多くの読者の目に触れるきっかけが大統領就任式だったことで、彼女もバイデン政権の回し者というレッテルを貼られるのだろうか? 権力の中枢から声を発する詩人は、それと引き換えに何かを失ってはいないのだろうか? 詩人には、どの社会にも属さず、世の中に警告を発する者だという古典的なイメージがある。ゴーマンが広く名を知られる人物であるがゆえに、彼女の存在から生じるイメージや強い感情さえも、彼女の作品の一部となる。「政治的な詩人の行く末はどうなるのだろうと、気になっています」とスミスは言う。「あの(就任式の)詩に彼女を縛りつけるようなことが起きないよう望みます。彼女は常にすべての人に呼びかけるべきだ、などと考える人が出なければ良いのですが」

大統領就任式のあと、ゴーマンのスマホは通知が鳴り止まず、手で触れないほどに熱くなったという。ソーシャルメディアのフォロワー数も、数十万人の単位で激増した。インタビューのやりとりの中で、ゴーマンは慎重に言葉を選びながら、自身をめぐる現象について書かれたワシントン・ポスト紙の記事に触れた。この話題を出すことで、自意識過剰と受け取られかねないことをよくわかっている彼女は「私について書かれているところは読み飛ばしてください」と念を押し、さらにこう続けた。「この記事の素晴らしいところは、歴史をひも解いて、詩人は以前からずっとポップスターだったことに触れている点です」。その例として、彼女はヘンリー・ワーズワース・ロングフェローやフィリス・ホイートリー(※アフリカ系アメリカ人女性として初めて詩集を出版した人物)の名を挙げた。ゴーマンにとって、自身が望む形での注目が集まり、リソースを得られることは、トータルではプラスでしかない。一方で消費社会や資本主義社会の力学から必然的に生じるマイナス面も彼女は理解している。

「世界を救うヒロイン」という役割を逃れて。

これは今までも繰り返し起きていた現象だ。若い女性が、自身の見解をはっきりと主張し、説得力のある作品を作り上げる。これにどう反応していいのかわからない体制側の実力者たちは、その声をありがたがっているふりをしながら、実際は忘却の闇へと葬り去ってしまう。ゴーマンや彼女と同年代の若い有名人たちは、その知識や透明性、そして世界が抱える問題を明確に指摘する姿勢で、大いに賞賛されている。だがこれは前例がなく、複雑な問題をはらむ名声でもある。作家やパフォーマーとして知られ、自らの体験から、名声やそれに伴って向けられるフェティッシュな視線についてもよく知るタヴィ・ゲヴィンソンがゴーマンと出会ったのは、2年前にプラダがミラノで開催したイベントの席だった。本について話をできる人が見つかって、本当にほっとしたと、彼女は振り返る。就任式の後に起きた、メディアからの取材攻勢の中で、ゴーマンは「現実逃避的なファンタジー」を引き寄せる存在になったと、ゲヴィンソンは指摘する。それは、「繊細さと他を圧するカリスマ性を兼ね備えた若い女性が世界を救う」というファンタジーだ。ゴーマン自身、お飾りに見えるような状況に身を置くことには、以前にも増して慎重になっている。「これが鳥籠になることは望んでいません」と彼女は言う。「つまり、『黒人の女の子が成功するには、アマンダ・ゴーマンのようになってハーバード大学に行かなければだめだ』というような考えが生まれるのは嫌なんです。私が作り上げたお手本を、誰かがいつか壊してくれることを望んでいます」

二度目のアポイントメントでは、ゴーマンが私に隔離期間中に訪れていた場所を案内してくれることになった。ロックダウン中の生活圏は、1周2km弱しかなかったと、彼女は冗談交じりに打ち明ける。曲がりくねった小道を歩き、きれいに手入れされた灌木の林や湿地帯を抜けると、知る人ぞ知る、ロサンゼルスでも最高クラスの絶景が広がっているという話だった。だが私が待ち合わせ場所に着いた時、ゴーマンはまだ到着していなかった。遅刻を詫びるテキストメッセージには、アヒル口で変顔をした彼女のセルフィーが添えられていた。その顔は、ドラッグストアで売られているような安物のサンスクリーンが塗られているため、白浮きして見える。この前日に「マスク焼け」の恐怖に駆られてプチパニックを起こしたという彼女の話をきっかけに、私たちは肌のタイプに合う日焼け止めを見つけるのがどれだけ大変か、という話題で盛り上がった。

ハイキングコースの近くで落ち合った時、「セルフィーを見て、ドナルド・グローヴァー主演のシュールなコメディドラマ『アトランタ』の、あのエピソードを思い出しました」と、私は彼女に伝えた。それは「人種転換」というタイトルで、黒人俳優が演じる、アントワーヌ・スモールズという人物が「私は35歳の白人男性だ」と真剣に主張する回だ。肌の色に関する議論と、そこに内在するおかしさを戯画的に描いた、このエピソードのあらすじを私が説明する間、ゴーマンはクスクス笑っていたが、このドラマは一度も観たことがないと明かした。というよりは、テレビそのものをあまり観ないのだという。ロサンゼルス南部で育ったころに観ていたのは「『ザ・マンスターズ』や『ハネムーナーズ』(※どちらも50年代~60年代のシットコム)とか」だったと、彼女は振り返る。もし21世紀になってから作られた作品、例えばディズニーのアクションアニメシリーズ『キム・ポッシブル』を観たい場合には、この番組には確かな政治的論点があると、母親を説得する必要があったそうだ。

母と双子の姉妹と過ごした幼少期とは。

ゴーマンが子ども時代に暮らした家にあったテレビが三度目に故障した時、母親のウィックスは、もう修理に出さないと決めた。テレビがなくなった家で、娘たちは自力で楽しむ方法を見つけ出すようになり、より生き生きと、創造的になった。2人は演劇やお手製の映画、さらには失敗続きの科学実験などで、楽しい時間を過ごした。その間、ウィックスは教育学の博士号取得のため、ロヨラ・メリーマウント大学で勉学に励んでいた。時には家計が苦しくなることもあった。双子の姉妹は早産で生まれた。まだ赤ん坊のころ、アマンダの小さな体では重すぎる頭を支えられなかった。そのため、彼女はあおむけに寝転がり、胴体をジタバタと動かして、逆向きのはいはいで前に進んでいたという。芝生でのインタビューの際に、ゴーマンはその様子を再現してくれた。アマンダたち双子は、どちらも発話に問題があった。さらにアマンダには聴覚情報処理障害(APD)の症状もあり、「r」の音が発音できなかった。家族はセラピーや、舌を押さえる道具なども使って克服に取り組み、アマンダもこの音を含む言葉を避けるようにしていた。だが、名字や「ポエトリー(詩)」など、「r」の発音を避けて通れない単語もある。母親のウィックスは、教育は何よりも重要という方針を掲げ、双子の姉妹は、南カリフォルニアにある進歩的な教育機関、ニュー・ローズに進学した。

子ども時代は、双子の姉妹のガブリエル(彼女も才能ある映像作家として活動している)のほうが、アマンダよりも体が強かった。アマンダは5歳のころから、取り憑かれたように文字を綴り続ける子どもで、睡眠時間を削って『赤毛のアン』にインスパイアされた短編小説の草稿を書き上げた。「どうしても眠ってほしいという母から25セント硬貨をお駄賃として渡されて、それでも朝5時を過ぎてからようやく眠るくらいでした」と、ハイキングの途中で、彼女は振り返った。16歳の時には、ロサンゼルス青少年桂冠詩人に応募した。当時は「『うん、たぶん、私って詩人なんだ』という感じ」だったという。最初のころはライトガールやザ・モス、アーバンワードといったNGOが主催するライブイベントや、TEDトーク、ヴァイタル・ヴォイセズ(ヒラリー・クリントンも創設者に名を連ねる、若い女性のリーダーを養成する組織で、ゴーマンは以前ここから奨学金を支給されていた)のカンファレンスでパフォーマンスを披露していた。ザ・モスで披露した「ロアー(咆哮)」は、ブロードウェイ・ミュージカル『ライオン・キング』のオーディションに参加した時の様子を振り返る、チャーミングな作品だ。この詩には「r」の音を含む単語が満載で、アマンダは注意を払ってこの音を発する過程を楽しんでいるようだった。その朗読は、詩人というよりコメディアンのようだ。ハイエナの姿を生き生きと描写する場面では、彼女は突然逆立ちになり、そのまま歩き始める一幕もあった。

大学進学後、ゴーマンは専攻する英文学と社会学の授業への出席、自ら立ち上げた創作ワークショップ「リット・ラウンジ」の運営、そしてホワイトハウスからスロベニアまで、さまざまな場所で行われる講演や詩の朗読のスケジュールとの間で、バランスを取りながら日々を過ごした。ブラック・フェミニズムの思想をよりどころとするゴーマンにとって、著作と社会活動は常に表裏一体の存在だ。16歳の時には、若者向けの創作活動推進プログラム「ワン・ペン・ワン・ページ」を創設している。そして今では、何年にもわたりさまざまな役職につき、権威ある機関からの奨学金を得たことで、緑豊かな中流家庭が多く住む地区にあるアパートメントの家賃を自分で払えるまでになった。「自分に厳しくしないように気をつけています」と、彼女は自分で持ってきたグミを噛みながら話す。「何かリソースが欠けている環境で育ってきた人の場合、贅沢は禁断の果実だという思いが常にぬぐえないのです」

時代のアイコンが“仕事”を選ぶ基準。

この日のゴーマンはキャップスリーブのスポーティなワンピースにスニーカー、セーターという服装、着用しているアイテムはすべてナイキ(NIKE)のものだった。日が落ちて肌寒くなったところで、クルーネックのセーターを重ね着すると、彼女は「私は“ブランド・アンバサダー”とか、そういうものではまったくないから!」と叫ぶ。ゴーマンはファッションは好きで、着るものによってイメージがつくられていく過程にも喜びを覚えている。だが、ファッションモデルとして見られることには警戒感がある。特に、このタイミングでモデル事務所のIMGとの契約が発表されてからは、さらにガードが堅くなった。この契約自体は、就任式のパフォーマンスのずっと前から話が進んでいたものだ。「私が広告キャンペーンに参加する時も、その主体となるのは私の体ではありません。私の声です」と彼女は私に語る。今や多くのファッションブランドが、ゴーマンと何とか関わりを持とうと押し寄せている。最近も、あるスタッフが、彼女に花を贈るのをやめてほしいと要望を出したばかりだ。次から次へと配達される花がゴーマンのアパートメントを埋め尽くし、緊急治療が必要になるほどのアレルギー反応を起こしてもおかしくない状態になったからだ。

ゴーマンは、訪れた先の病院や15歳になる愛犬のミニプードル、ルルを連れて行ったドッグパークでも、気づかれるようになった。高く盛り上げた、美しく特徴的な髪型も、その一因なのかもしれない。だが言ってしまえば、詩人の人生とは、広く認められることや安楽な生活とは無縁のものだ。詩の才能で生計を立てる方法も限られている。研究職に就くという手はあるが、大学などで詩人のために設けられたポストは非常に少ない。または、コピーライティングの仕事、あるいはゴーマンのように舞台に立つことが多い詩人なら、朗読ツアーを行うという方法もある。彼女は就任式の前の時点で、詩人として初めてスーパーボウル出演のオファーを受けていた。試合前のセレモニーの一環として、ビデオメッセージの形で披露された詩「コーラス・オブ・ザ・キャプテンズ」は、エッセンシャル・ワーカーに捧げられた、高揚感あふれる賛辞だった。とはいえスーパーボウルを主催するNFLは、反人種差別の意思表示をしたコリン・キャパニック選手を冷遇してきたリーグでもある。こうした組織のために詩を書くことに複雑な感情はなかったのかと、私は尋ねた。ちなみに昨年、彼女はナイキの依頼で、差別に抗議の声を上げた黒人アスリートの系譜を称えるマニフェストを起草している。「これは悩ましい問題です」と彼女は言う。「あの依頼を受けたのは、決してお金のためではありません。あの(ビデオ)撮影の報酬として、私が手にしたお金はほんのわずかです。出演を決めたのは、歴史上初めて、スーパーボウルで詩が読み上げられる、それがこの国の詩の世界にとって大きな意味を持つと思ったからです」

彼女はここ最近、およそ1700万ドルに達する額のオファーを断ってきたという。あるブランドからの巨額のオファーについてはこう語る。「細かいところまでは見ていないのですが、自分が目にしたものに『数百万ドル』という値段が書かれていたら、なぜそんな額が支払われるのか、理由を考えるものです」。依頼する側の企業にもさまざまな思惑があり、それは必ずしも、ゴーマンの目標と一致するとは限らない。「自分が共感できるプロジェクトだけを引き受けるように、意識しなければなりません」と彼女は語った。一度、彼女が書き上げた詩に発注先からクレームが入ったことがあった。その詩には、ドリーマー(幼少期に保護者によってアメリカに連れてこられ、不法滞在とされる若者たち)に言及した一節があった。これを依頼先の組織(彼女は具体名を挙げることをよしとしなかった)の「一部の人たち」が削除するよう、それとなく求めてきたという。そこで彼女は、わかる人にはわかる形で、メッセージを伝える作戦に出た。「DACA(ドリーマーたちの強制退去を遅らせる制度の略称)」と読めるように、単語の順番を工夫したのだ。

SNSへの姿勢と“著名人”としての自覚。

小道を行く私たち2人を、ランナーたちが追い越していく。中年の白人女性が全速力でこちらに 近づいてきて、大声であいさつをした。ゴーマンと私は黙りこくったまま顔を見合わせた。この2日、自分たち以外に黒人の姿を見たことはない。あの女性の態度は、本心からの好意の表れなのか、それとも遠回しな警告なのか、どちらだろうか? 次にランナーに遭遇した時、ゴーマンは私をひじでつつき、機先を制するように、自分から大きな声で「こんにちは」と声をかけた。

ゴーマンはこの上ないほど見事に、この山道のガイド役を務めてくれた。さまざまな植物が茂る小道を案内し、目に入るユーカリの木やヒイラギの実について、ハイキングコースに設けられた説明板よりずっと詳しく解説してくれる。「これがハリウッドの語源となった木です」(英語でHollywoodは「ヒイラギの森」の意)。ゴーマンの説明によると、このあたりは植民地化される前、先住民のトングヴァの人々が住んでいた地だという。かつての先住民の住居を復元した大きな木造の建物の近くで、私たちは少し休憩した。

ゴーマンはリン=マニュエル・ミランダの大ファンで、最近はメッセージもやりとりしているという。「The Hill We Climb」には、ミランダが制作・出演したミュージカル『ハミルトン』のライム(韻)が挿入されている。ミランダがゴーマンに宛てて作成した感謝のメッセージは、ゴーマンが「グッド・モーニング・アメリカ」に出演した際に放映され、彼女を狂喜乱舞させた。私は彼女に、小説家のイシュマエル・リードによる、『ハミルトン』批評をどう思うかと尋ねた。リードは自作の戯曲『The Haunting of Lin-Manuel Miranda(リン=マニュエル・ミランダの忘れがたい記憶)』で、このミュージカルを、有害で修正主義的な作品だと痛烈に批判している。「イシュマエルは……少し手厳しいですね」というのが彼女の答えだった。これはつまり、ゴーマンの友人になりたいなら、しかるべき手順を踏まなければならないということだ。『ハリー・ポッター』は読みましたか? 『ハミルトン』のメッセージを受け取ったか、少なくともその主張に耳を傾けるつもりはありますか? あなたはインターセクショナル・フェミニストですか? 有権者登録は済ませましたか? これらの問いをクリアする必要があるのだ。

ゴーマンはかつて、大統領になりたいと発言したことがある。非公式ながら、ヒラリー・クリントンとミシェル・オバマの推薦も取りつけている。母親のウィックスによれば、彼女のソーシャルメディアでの投稿に「ネガティブな要素」がまったくないのはそれが理由だという。「パーティーではしゃぐ様子」や「水着姿」の画像がひとつでも掲載されれば、今後どこかの時点で、品位に欠けると批判されるおそれがあるからだ。黒人女性にも、大統領となる未来を見据えた視点に立って、社会との折り合いのつけ方を身につけることが“普遍”になる時代がきたのだ。これはあら探しに余念がない世間の目への対応策であり、ゴーマンにはそれが自然に身についている。やるべきこととそうでないことの境界線を明確にすることで、彼女自身も満足感を得ているのだ。

狂騒を経た今、アマンダが見る世界。

創作の最中には、気晴らしに水辺を観察することが多いと、ゴーマンは話してくれた。時代が違えば、彼女は何らかの分野を専門とする生物学者になっていたことだろう。ハイキングコースを歩いている最中、私たちは湿地の水がたまった場所で休むマガモを目にした。水辺とコースの間には薄っぺらな木のフェンスが立てられていたが、これをゴーマンは勢いよく飛び越えた。水に浸かるギリギリのところまで近づこうとした彼女は、小さな丘のところで足を滑らせた。バランスを取ろうと、彼女は私につかまる。「春はぜひカモを見るべきです。みんなまだひな鳥ですからね。でもその後、大きくなってレイプ魔になってしまうのだけれど」と、彼女は真顔で言う。「私はメスのカモじゃなくてよかった」。このブラックジョークに、私たち2人は笑った。

私たちはその後も、らせん状に山をめぐるハイキングコースをひたすら登り、セントラル・バレーの山並みの向こう、カルバー・シティ、センチュリー・シティ、そして太平洋が見えるところにまでたどり着いた。「ここまで登ってくるのが好きなんです」と彼女は言う。「それに、頭の中では、1年半まったく見ていないロサンゼルスの街並みやそのほかの場所を、文字通り“歩き回って”いるんです」。そう言うと、彼女はフリーウェイに視線を移した。「『アンブレイカブル・キミー・シュミット』って、観たことあります? 話の筋は知っていますか? 主人公のキミーは、ずっと地下壕に監禁されていて、そこから解放された時に、『あらびっくり、何もかも変わってないじゃない!』みたいなことを言うんです。というのも、(監禁していたカルト教団から)爆弾が落ちて世界は滅びたと聞かされていたからです。この山を登ってきた時の私の心情も、それと同じです。『何もかも変わってないじゃない!』と」

Profile
アマンダ・ゴーマン
1998年、米カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。詩人、活動家。双子の姉妹ガブリエルとともに教師の母のもとで育つ。幼少時より言語障害を持つ。ハーバード大学では社会学を専攻。2017年、米議会図書館によって創設された全米青年桂冠詩人第1号になり、注目を浴びる。2021年1月、バイデン大統領就任式での詩の朗読で一躍時の人に。同2月、スーパーボウル史上初の詩の朗読を行う。

Photos: Annie Leibovitz Stylist: Gabriella Karefa-Johnson Text: Doreen St. Félix