「ちょうどあなたのことを考えていたんです」──『Allure』3月号の表紙撮影の際に、私を見かけたアマンダ・ゴーマンが最初に発したのはこんな言葉だった。こう言われた私は思わず、スタジオを見回し、誰に話しかけているのかを確認した。何しろアマンダとは以前に一度しか会ったことがなかったし、そのときもトータルで30秒ほどのやりとりだったからだ。
この撮影のちょうど2カ月前、アマンダと私はともにNBCの朝の情報番組「トゥデイ」に出演していた。事前収録のスタジオにやってきた私とアマンダは、どちらも黒人女性で、ナチュラルなカーリーヘアに黄色のドレスと、何かの偶然に導かれたかのようにそっくりな格好をしていた(『Allure』編集長である私は「ベスト・オブ・ビューティー」受賞プロダクトの説明役として、アマンダは、自らがテキストを著した子ども向けの絵本『Change Sings』〈原題〉をPRするために出演していた)。私たちはもちろん、自分たちを育ててくれた黒人の母親に教わったとおりに、まずは視線を交わし、うなずき合ったのちに、お互いに自己紹介をするという手順を踏んで、きちんとあいさつをした。
今回のインタビューのためにロサンゼルスに向かう前、私は母に「アマンダがあんな短いやりとりを覚えているわけがないでしょう」と話していた。だが実際には、彼女はずっと私のことを考えていたというのだ。そして、2021年1月のジョー・バイデン大統領とカマラ・ハリス副大統領の就任式で詩を朗読する姿を見て以来、私は(ほかの多くのアメリカ人と同様に)ずっとアマンダ・ゴーマンのことを考えていた。
黒人の女性たちから受けた薫陶。
撮影でのアマンダの様子を見ていて、私の心は子どものころに通っていた南部の教会に戻っていった。こうした教会では、牧師たちが手ぶりや声の抑揚を駆使し、ときには踊りも交えて、信徒たちを鼓舞していた。当時の牧師は神の福音を説くだけでなく、黒人コミュニティに行動を起こすように呼びかけていたのだ。「スポークン・ワード(詩などを朗読する言葉のパフォーマンス)の歴史、特にアフリカ系アメリカ人コミュニティでの詩の役割について調べるとわかるのですが、この伝統に、黒人教会が果たしている役割は本当に大きいんです」とアマンダは私に語りかける。「私はカトリックの教えを受けて育ちましたが、通っていた教会(ロサンゼルスの聖ブリギッド教区教会)は私が育った黒人コミュニティにしっかりと根づいていました。詩はもちろん、それを超えたさまざまな部分でも、自分はこうした環境に影響を受けてきたと思います」
アマンダのすべての行動には、明確な意図がある。詩の朗読の最中に両手を合わせるジェスチャーでさえ、演出のひとつなのだ。「私には発話障害があるので、ステージで自分の意図を伝えるときも、創意工夫を凝らす必要があったんです」と、彼女は説明する。「自分の口から発する言葉に頼るだけでは不十分だったんです。それで、ほかの手だての力を借りる必要がありました。発話障害のために、単語を“正しく”発音できないときでも、見ている人たちは私の手の動きを見て、『ああそうか、“走っている”と言っているんだな、人さし指と中指のしぐさでわかった』と思ってくれますから」
今回の表紙撮影でも、アマンダは手を絶妙なポジションに置き、首を横にかしげて、これまでの朗読パフォーマンスと同様の優雅さを表現していた。まるでダンスのような身ぶりを見せる彼女は実に堂々としていて、かつ、撮影を見守る私に親しげに手を振る余裕も持ち合わせていた。しかしカメラがオフになると、シャイな顔が姿をのぞかせた。この国のシンボルとしてあがめられる女性と、彼女自身の言葉を借りるなら「奴隷の血を引き、シングルマザーに育てられたやせっぽちの黒人少女」は、やはり同一人物なのだ。どちらもアマンダの中にある二つの面であり、その時々で、ふさわしい側が顔を出すということだ。
インタビューに場面を移すと、私は今、自分と時を過ごしているのは後者のアマンダのように感じた。堂々とした雰囲気こそ撮影のときと変わらなかった(たとえ『セサミストリート』のバートとアーニー柄のTシャツを着ていても)が、その威厳は、私の目の前に座っている彼女自身の存在感よりも、言葉を通じて伝わってくるものだった。子ども時代を振り返るその口ぶりは、まるで『若草物語』の1ページを読み上げているようだ。そこで語られるのは、彼女が双子の妹とともに自由に走り回り、遊びながら想像したものを次々と形にし、自分たちが頭に描く世界を水彩で描いていく姿だ。さらにアマンダは幼いころから、短編小説や詩をノートに書きつけていたという。姉妹を支える母親で教師のジョーン・ウィックスは、『若草物語』の4姉妹の母、ミセス・マーチもうらやむであろう、理想の創作環境をつくり上げていた。だがこちらの環境には、ブラックカルチャーに深く根ざしているという点で、『若草物語』の世界とは大きな違いがある。アマンダは、リタ・ダヴ、マヤ・アンジェロウ、グウェンドリン・ブルックスといった、黒人の女性作家たちが綴る力強い言葉の薫陶を受けて育った。「私が今ここにいるのは、母がずっと私を支えてくれたからです。誰もまだ、手を差し伸べてはくれなかったころからです」とアマンダは語る。これは小学校時代、発話障害のために彼女の読解力を本来より低く評価した教師に対し、母親が声を上げ、誤解を正したエピソードを語ったあとの言葉だ。「本当にたくさんの人から、『自信に満ちている』とか、『自分をコントロールしている』と言われるのですが、生まれつきこうだったわけではありません。私の中にあるそういう部分を育ててくれた人のおかげです」
Z世代を代表するという重責と覚悟。
若き日のアマンダは、若い黒人女性として生きる自身の世界を反映した作品を作りたい、と考えていた。このころはまだ、標準的なカリキュラムでは「古典」──(その大半が)白人男性の作品──が模範として取り上げられていた時代だった。「なぜ私が読んでいるのは、(黒人作家の)ジェイムズ・ボールドウィンではなく、ハーマン・メルヴィル(『白鯨』等で知られる白人作家)だったのでしょう?」と彼女は問いかける。「どちらも人間の経験が綴られていますが、そのうちのひとりがたまたま黒人だったというだけ。私は吸収するだけではなく、窓や鏡になるような作品を自分でも作りたいと思っていました。私が知る真実、私が生まれ育ったコミュニティを反映したものを」
とはいえ、「自分の生い立ちが作品として綴るに値する」という考えには、多少のうぬぼれが含まれているようにも思える。その点を私が指摘すると、アマンダはしばらく考え込み、語るべき言葉がそこに書かれているかのように空を見上げた。だがこれはインタビューであって、詩作のプロセスではない。彼女も完璧なフレーズを練り上げるのはやめて、こう応えた。「もちろん、『私の考えやアイデアにみんなが耳を傾けるべき』と自分に言い聞かせるなんて、うぬぼれの極みでしょう。でも、周りを見てください。白人男性は、もう何百年にもわたって、ずっとそうしてきたんです。こうした行動は『リーダーシップ』や『大志』、『インスピレーション』などと呼ばれています。でも、同じことを私がすると『うぬぼれている』と言われるわけです。私は何も、自己満足や酸素を二酸化炭素に変えるためにやっているわけではありません。自分という境界線を越えて、変化をもたらしたいと考えているだけです」
先ごろ発表した詩集『Call Us What We Carry(原題)』でアマンダは、1年にわたり極端に隔離された生活を送った世界中の人たちの経験、そして人種の問題が国を揺るがした時代に生きる黒人の体験を形にする言葉をつむいでいる。そう聞くと、暗い作品なのかと思われるかもしれないが、言葉の端々に、彼女は多くの希望を託している。「黒人の女性詩人と聞いて、私の詩が怒りに満ちたものなのだろうと考える人は多いかもしれません。確かに、怒りを覚える権利はあるとは思います。でも、白人男性の詩人と同じように、希望を語る自由を持ちたいと、心から思ったんです。人の集団、そしてある世代の声が、私のような外見を持つ人間から生まれてはいけないのでしょうか? 今からそう遠くない昔、私の先祖たちは読み書きができるというだけで迫害されました。けれども私は今、アメリカ合衆国の大統領就任式で自らの作品を朗読する詩人になりました。黒人女性として、これ以上私に希望を与えてくれることなどあるだろうか、と感じています」
この「ある世代の声」を担うという役割は、実に過酷なものだ。特に、25歳以下の若者はみんな軽薄だという社会の先入観と戦っているのだから、そのつらさは想像にあまりある(アマンダは今24歳だ)。「何もかもZ世代のせいだと言われているように思います」と彼女も認める。「でも“覚醒した”という言葉そのものに、目にする情報をうのみにせずによく考える、これまでの歴史に関心を持つ、という意味合いが含まれているはずです。そのためにはじっくりと物事に注目しなければなりません。さらに、私の考えでは、人としての共感や理解が必要とされるはずです」。この発言のどこに、軽薄な部分があるだろうか? 『Call Us What We Carry』の各ページでは、彼女のいう共感と、遊び心が絶妙なバランスをとりながら表現されている。綴られた言葉はさまざまな形でページに広がり、読み手に言葉が表現するリズムを追うよう促す。チャットアプリのように吹き出し形式で書かれたものもあれば、言葉が魚の形になっているのもある。「それぞれのページを遊び場にしたいと思い、単語が並ぶ形やフォーマット、リズム、テキスト、フォントで遊びました。こうした手段は、スポークン・ワードのパフォーマンスではまず使えないものばかりです」とアマンダは言う。さらに彼女は、読み手を楽しませると同時に啓蒙している。「私にとっては、楽しいフレーズを綴るだけでは十分ではありません。読む人を楽しませつつ、そこに歴史を踏まえた深い響きを持たせることが、一番の挑戦なんです」
ファッションやヘアメイクへの敬意。
ある意味では、アマンダのすることすべては伝統に深く根ざしている。それは彼女自身も認めるところで、メイクアップも例外ではない。「舞台での化粧の歴史についても学びましたし、大観衆にストーリーを語る手段のひとつだったことも知っています」と彼女は言う。「観客は、演者が遠く離れているように感じることもありますから、メイクは顔立ちをはっきりと見せるための手段でした。ましてや今回のコロナ禍での就任式はすべてが画面の中でのことだったので、親近感を抱きにくい人が多いだろうと想像しました。華やかな色のメイクをしたのには、『これが最高の自分』と自信をつけるためだけではなく、見た人に私の人となりや私が話していることに興味を持ってもらえれば、という思いもあったんです」
あの日、大統領就任式が行われた連邦議会議事堂があるキャピトル・ヒルに向かう数時間前に、アマンダは自らの手でハイライターを塗り、ベリーカラーのリップをつけた。「神経がきりきりしました」と、彼女はこのときのことを振り返る。「本当に震え上がっていました。ワシントンDCにあるホテルの部屋の鏡の前に立ち、『本当に怖くて、自分の顔にどうメイクアップをしたらいいのか、まったくわからない』と思っていました」。しかし、ステージに立つ前に、自分でメイクをし、髪をスタイリングすることは、もう何年も前から、数々のパフォーマンスで彼女が行っていたことだった。自らピックアップしたスペシャルなプレイリスト──ビヨンセやアリアナ・グランデ、デュア・リパなど──をかけながらのメイクタイムでは、アーティストたちの歌詞に後押しされ、大胆でフェミニスト的なパワーに満たされるのが常だった。ヘアスタイリングやメイクのやり方を覚えたことで、彼女は自分の美と向き合い、受け入れることができるようになったという。「私が最初、メイクに興味を持ったのは、個性という観点からでした。『どんなふうに私を表現してくれるだろう?』ということです。それと、芸術性や創造性といったものも。本当の自分を覆ったり、隠したりするのではなくて、むしろ自分をじっくり見つめて、高めていこうと思ったんです」
大統領就任式の日には、彼女がまとったイエローのプラダ(PRADA)のコートと高く盛り上げたブレイドヘアも、強い印象を残した。「あのブレイドヘアにも強い主張を込めました」とアマンダは振り返る。「思い切って髪を高く盛り上げてみたんです。あの盛り上がったスタイルこそ、黒人の髪の象徴だと思っているので。髪、体、魂、私に関することは何もかもが重力に逆らっているんです」。そして彼女は、伝統に敬意を表することも忘れなかった。「(50年代から60年代にかけての)公民権運動を思い出してください。デモの参加者は、一番のよそ行きの服で行進していたんです」と彼女は指摘する。「逮捕され、殴られた人たちは、髪をきれいに整え、きちんとアイロンをかけた服を着て、メイクもしていました。私の先祖となる人たちは、完全に意図的に、自分の外見を使って抗議の意思を表明したんです。彼らを押さえつける権力は、彼らの見た目、はっきり言えば肌の色を理由に、民主主義において声を上げることは許さないと主張していましたから。私もこうした先人の例に敬意を表そうとしました。最高に着飾った姿で社会的正義を求める戦場に臨むという伝統を、私は受け継いでいるのです」
だが間違いなく言えることがある。それは、アマンダがペンを握って行う執筆活動も、ある意味では戦いであり、その発言の一言一句、そして手振りのひとつでさえ、彼女の身を危険にさらしているということだ。あの就任式のわずか2週間前には、白人至上主義者を含む暴徒が議事堂に乱入し、民主主義を攻撃する事件も起きている。その現場は、彼女が立ったステージからわずか数フィートしか離れていなかった。私自身、「多少」とは言えないほどの危惧を持って、彼女の躍進を見守ってきたのは否めない。これまでの例を振り返っても、はっきりとものを言う黒人女性にとって、この世界は危険な場所でしかなかったからだ。
それだけに、私はこう質問せずにはいられなかった──アメリカの希望の光として自身にスポットライトが当てられても、安心していられますか? と。「安心していられるか? 答えはノーです。このアメリカという国で、有色人種の立場を強く主張する人間が安心感を覚えるのは非常に難しいことです。ほぼ不可能に近いと言ってもいいでしょう」とアマンダは答えた。「特に、私たちが日々目にしている心理的、肉体的な暴力のことを考えればなおさらです。私は恐れという感情に支配されないよう気をつけつつ、恐れる気持ちから伝わってくるものに耳をかたむけるようにしています。本当に怖くなったときにも、この恐怖の感情は私に『勇気から得られるものがある』ことを教えてくれているんだ、とわかるんです」
新しい可能性と、SFへの憧憬。
初の全米青年桂冠詩人に選ばれ、ベストセラー作家となり、大統領就任式で旋風を巻き起こすなど、すでに数々の栄誉に輝くアマンダだが、今年、そこにエスティ ローダー(ESTEELAUDER)のグローバルチェンジメーカーという称号が新たに加わった。これは同ブランドにとって初の試みで、このパートナーシップにより、アマンダはメイクアップ・モデルを務める以上の役割を担う。その一環として、エスティ ローダーはアマンダがキュレーターを務める予定の識字率向上イニシアティブ「ライティング・チェンジ」に総額300万ドル(約3億3000万円)を提供するという。「ブランドと提携するのなら、自分にとって正しいと思えるものにしたかったんです」と彼女は語る。「お決まりのアンバサダー的な関係に限定されるのは嫌でした。私は顔だけの存在ではありません。私たちはこれによって、新しいコラボレーションのかたちを示すことができると思います。ビューティーブランドとパートナーシップを結ぶ女性たちが、主体性を持って、広く世界に影響力を発揮する一歩です。さらに世の中に影響を広げていく力になります」
アマンダを見ていて際立っているのは、その楽観性だ。その姿は、就任式の日につけていた、マヤ・アンジェロウの詩を踏まえた鳥かご形の指輪を思わせる。自分の行動が世の中をより良く変えるきっかけになってほしい、というのが彼女の願いだ。それゆえに、アマンダが選んだ表紙撮影時のプレイリストに『アベンジャーズ』や『スタートレック』シリーズのサウンドトラックが入っていたことも、私にとっては意外ではなかった。彼女がスキャパレリ(SCHIAPARELLI)の彫刻のようなイヤリングをつけ、ポーズを取る間も、これらの音楽が高らかに流れていた。こうしたファンタジーやSFといったジャンルの映画では、世界をより良い場所にしようと、善意に燃えるヒーローたちの活躍が描かれる。これは確かにアマンダ自身の精神とも一致している。「私はアフロフューチャリズム(アフリカ系の人々の手によるSF的な設定を持つ芸術作品)が好きです。アクティビスト、そしてアーティストとして、SFにはとても心惹かれるものを感じます。なぜなら、とてもリアルで地に足がついた発想から、さまざまな世界の姿を描いて見せてくれるからです。『もしこうだったら?』という仮定の話ではなくて、『次はこうなるのでは?』という発想です。可能性のある未来の姿を、真剣に考えているんです」
Profile
アマンダ・ゴーマン
1998年生まれ、米カリフォルニア州ロサンゼルス出身。ハーバード大学で社会学を専攻していた2017年、当時新設された全米青年桂冠詩人プログラムの初代受賞者に。ジル・バイデン現大統領夫人の要請により、2021年1月のジョー・バイデン大統領就任式で自作の詩「わたしたちの登る丘(The Hill We Climb)」を朗読し、世界的に注目を集めた。
Photos: Djeneba Aduayom Stylist: Shibon Kennedy Hair: LaRae Burress Makeup: Joanna Simkin Manicure: Yoko Sakakura Set Design: Evan Jourden Production: Viewfinders Text: Jessica Cruel Translation: Tomoko Nagasawa
