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12月1日は「世界エイズデー」。エルトン・ジョンの30年に及ぶエイズ撲滅運動【世界を変えた現役シニアイノベーター】

エイズ/HIVのまん延防止と患者・感染者に対する差別・偏見の解消を目的に、1988年にWHO(世界保健機関)は毎年12月1日を「世界エイズデー」に制定。日本をはじめ世界中でのエイズ/HIVとの闘いは今も続いており、厚生労働省は2020年度の新規エイズ患者数が345人と、日本では4年ぶりに増加に転じたと発表した。現在75歳のエルトン・ジョンは、天賦の才で世界を魅了する傍ら、エイズに関する啓発活動や支援の最前線に立つ。
LOS ANGELES CALIFORNIA  FEBRUARY 09 David Furnish and Elton John attend on February 09 2020 in Los Angeles California.
LOS ANGELES, CALIFORNIA - FEBRUARY 09: David Furnish and Elton John attend on February 09, 2020 in Los Angeles, California. (Photo by Rich Polk/Getty Images for IMDb)Photo: Rich Polk / Getty Images

「私がセクシュアルマイノリティの皆さんに言いたいのは『常に自分らしく生きてほしい』ということです。誰もあなたの存在を否定することはできませんし、あなたの代わりはいません。私は、長いこと皆さんの人権保護のために人生を捧げてきましたが、今振り返っても、私は本当に恵まれていたと思います。なぜなら、周囲が私のことを受け入れてくれたから。ですが、この世界には、自分自身の存在すら受け入れられず、人知れず苦しんでいる子どもたちがまだまだたくさんいます。貧しい環境にいたり、親から理解されなかったり、信仰上の理由などによって否定されたり。だからどうか、私の皆さんへの願いを忘れないでください」

2019年に『バラエティ』誌のインタビューで、こう語ったエルトン・ジョンは、世界のミュージックシーンとLGBTQカルチャーを牽引するレジェンドだ。1947年3月、レジナルド・ケネス・ドワイトとしてイギリスのミドルセックス州ピナーに生まれた彼は、幼少期からピアノを習い、1962年にブルース・バンド「ブルソロジー」を結成し、アーティスト活動をスタート。1969年には、デビューアルバム『エンプティ・スカイ』を発表し、1970年にリリースしたシングル「僕の歌は君の歌」は、あのジョン・レノンをして「ビートルズ以降に出現した初めての衝撃」と言わしめるなど各方面で絶賛され、世界的に大ブレイクした。

1970年11月に撮影された、エルトン・ジョンのポートレイト写真。Photo: Jack Robinson / Hulton Archive / Getty Images

1972年のヒット曲のタイトルにちなみ、通称“ロケットマン”としても愛され、音楽シーンで史上最も成功したアーティストの一人である彼は、世界中で通算3億枚以上のレコードを売り上げた。さらに、UKシングルチャートとUSビルボードホット100でナンバーワンシングルとなった曲は9曲。そして、USチャートでは7作連続でナンバーワンアルバムに輝いた。中でも、故ダイアナ妃へのトリビュート・シングル「キャンドル・イン・ザ・ウインド 1997」は、全世界で3300万枚以上を売り上げ、今なお世界中で愛され、記憶に残る名曲だ。

30年続く、エルトン・ジョン・エイズ基金

2019年2月に行われたエルトン・ジョン・エイズ基金主催のアカデミー賞のパーティーにて。Photo: Michael Kovac / Getty Images for EJAF

「同性とベッドをともにすることは、決して悪いことではありません。誰でも憧れの同性がいるでしょう? 程度の違いはあるかもしれないけれど、同性も異性も魅力的に思うバイセクシャルな部分はあると思う。自分だけがそうだとは思わないだけで。だから、同性に好意を持つことは悪いことじゃない。絶対に」

人気絶頂にあった29歳の時、ジョンは『ローリングストーン』誌にバイセクシャルであることを明言し、1992年の同誌インタビューでゲイであることを正式にカミングアウトした。そんな彼は、現在に至るまで自身の名声を利用し、セクシュアルマイノリティの人権保護のために尽力している。中でも、世界中で広く知られているのが、エイズ/HIVに関する支援や啓発活動だ。そんな彼は、1992年「エルトン・ジョン・エイズ基金」の立ち上げに際し、こう語った。

「この世界は憎しみが溢れ、悪がはびこっているけれど、同時に多くの愛があります。憎しみに勝る愛があることを、私は信じています。私たちは、2030年までにこの世界からエイズを撲滅することを目指しています。特に社会のセーフティネットから溢れたセックスワーカーや社会的弱者へのサポートをすること、ドラッグ使用での注射器の使い回しによる感染などを予防することなどを通して、一人でも多くの人を救いたい。知識があれば、感染を防げる病なのです。私は、誰一人取り残したくない」

同基金は、HIV感染者もしくはリスクに晒されている人々のために、基金が主催するキャンペーン「ザ・ロケット・ファンド」を通じて感染予防のための教育プログラムを提供したり、患者の社会的地位向上に働きかけ、最前線で治療を提供する医療機関への資金援助等を行なっている。

ヘンリー王子とのプロジェクトも始動

2018年にアムステルダムで開催された第22回国際エイズ会議に出席し、2030年までのエイズ撲滅を目標にした団体「ザ・メンスター・コアリション」の設立をヘンリー王子とともに発表した。Photo: Michael Kovac / Getty Images for EJAF

ジョンが基金を立ち上げたきっかけは、1990年にアメリカ・インディアナ州のティーンエイジャー、ライアン・ホワイトがエイズで死亡したことだった。プライベートで彼と友情を育んできたというジョンは、彼の死を無駄にしないためにも、直後から精力的にエイズ/HIV撲滅活動に取り組むことを決意。ちょうどこの頃、WHOはアフリカにおける死因の1位がエイズであり、エイズ関連死者数は1400万人、そしてHIVに感染した人は3300万人と発表し、世界における感染者数は爆発的に増加していた。

そして2002年にエイズが世界第4位の死因となったことを危惧したジョンは、医薬品開発等の資金提供をアメリカ議会に訴えた。2018年には、ヘンリー王子とともにアフリカでのHIV撲滅のためのプロジェクト「ザ・メンスター・コアリション」を立ち上げると同時に、東欧や中央アジアへと活動地域を拡大した。

そんな彼の長年の働きかけもあって、かつては不治の病とされていたエイズ/HIVだが、2022年現在では長時間作用型の抗HIV薬など新たな治療法が登場。患者のさらなる心理的・物理的負担の軽減も見込まれているなど、以前にも増して明るい兆しもみえてきた。だが、エイズ/HIVを巡る一進一退の攻防戦は、まだまだ終わりが見えないのが現状だ。

エイズへのスティグマをなくして

2022年9月にアメリカのホワイトハウスで行われたイベントで、国家人文科学勲章を授与された。左から、パートナーのデヴィッド・ファーニッシュ、アメリカ大統領ジョー・バイデン、ジョン、ファーストレディのジル・バイデン。Photo: Alex Wong / Getty Images

「ホワイトハウスというこのような素晴らしい場所で、バイデン大統領より国家人文科学勲章という名誉ある賞をいただけることを大変光栄に思います。私の音楽と、エルトン・ジョン・エイズ基金という、私の人生における二つの情熱が認められたことは、とても感慨深いものです」

2022年9月26日、アメリカのジョー・バイデン大統領とファーストレディのジル・バイデン博士主催のイベント「A Night When Hope and History Rhyme」に、カナダ人映画監督でプロデューサーのパートナー、デヴィッド・ファーニッシュとともに招かれ、ジョンはホワイトハウスの庭でヒット曲を数々演奏した。その際、サプライズでメダル授与式が行われ、感涙にむせびながらこうスピーチを始めた。

2022年11月17日にLAで行われた現行の最後のツアー「Farewell Yellow Brick Road」にて。来年の夏にツアー最後の公演を終えた後は、ただただ家族と一緒の時間を過ごすという。Photo: Wally Skalij / Los Angeles Times via Getty Images

公的には、1998年に故エリザベス女王より大英帝国勲章を、2021年にはチャールズ皇太子からコンパニオン・オブ・オナー勲章を授与されたジョン。だが、プライベートでは、ゲイとして社会で生きる葛藤を抱えながら、1970年代後半〜1980年代後半に重度薬物・アルコール依存症を発症し、1990年から現在まで断酒中だ。一方で、2014年にイングランドとウェールズで同性結婚が法的に認められるまでファーニッシュとの結婚を待つなど、決して平坦なものではなかった。そんな人生を振り返りながら、スピーチをこう締めくくった。

「30年前、アトランタの自宅のキッチンテーブルでこの基金を設立して以来、私はこの世界の誰も置き去りにしないと誓い、現在に至るまでこの志を全うしています。私が目指しているのは、世界中の人種や民族、国籍、性的指向、性自認を持つ全ての人々が、エイズに対するスティグマ、そして不正や虐待から解放されて生きることができる未来の創造です。このように栄誉ある賞を頂けたことは、その実現に一歩近づいたということの証です。私にとって、これ以上に嬉しいことはありません」

Text: Masami Yokoyama  Editor: Mina Oba