名前は、母方の姓を継ぐためにつけられた。
ビヨンセというの名前の由来について不思議に思ったことはないだろうか。実はビヨンセの母ティナ・ノウルズが生まれたときの名前がセレスティン・ビヨンセだった。ティナは、ビヨンセの父親であるマシュー・ノウルズと結婚した後、自分の旧姓が後世に受け継がれないことを心配。ティナはポッドキャスト『In My Head With Heather Thompson(原題)』で、こんな話も披露した。6人兄弟の間でも旧姓のスペルが異なり、真ん中に「o」がつくスペルを持っているのは自分と、もう一人の兄弟だけだとか。他の兄弟は、出生証明書の事務的なミスにより、「Beyoncé」ではなく「Beyincé」という綴りになっているそうだ。
ポッドキャストでは、ティナはこのミスについて、「時代がわかる話でしょ? 私が大きくなったとき母に『どうして弟の名前のスペルはB-e-y-i-n-c-éなの?なぜ反論して訂正させなかったの?』と聞くと、母は、『出生証明書が発行されることを喜べ』と言われたそうです。なぜなら、かつて黒人は出生証明書さえも取得することができなかったから……それって、あなたは本当は存在しない、重要でないと言われているみたい」と語った。彼女はさらにこう続けた。「私はそのときサブリミナルなメッセージとしてこう受け取った。自分の子どもたちの名前が正しく綴られないことは、母にとって恐ろしいことだったに違いない、と」
ティナの兄であるビヨンセの叔父は、ドキュメンタリー映画『Life Is But A Dream(原題)』のプレミアでもこのように話していた。「姉のティナ(・ノウルズ)は、(ビヨンセの)名前を維持するほど家族に男の子の数が足りないと感じた。だから、彼女はビヨンセに私たちの姓をファーストネームとして名乗らせたんだ」と説明。
ダンスの先生が彼女の歌の才能を見出した。
ビヨンセの幼少期のダンス教師、ダレット・ジョンソンには感謝することがたくさんある。「ある曲を私が鼻歌で歌っていたら、彼女がそれを歌い続けて、ものすごく上手くて驚いた」とジョンソンは2013年にCNNのインタビューで語った。「彼女には、もう一度歌うように言ったけど、彼女はとてもシャイだったから、もう歌おうとしなかった」。その夜、彼女の両親のティナとマシューが学校に彼女を迎えに来たとき、ジョンソンは彼らに、「彼女は歌はすごいよ!本当にすごいんだ!」と言ったようだ。
7歳のときに初めてタレントショーで優勝。
2004年、ビヨンセは 『ローリング・ストーンズ』誌のインタビューでこう語った。同じダンスの先生が、彼女が7歳のときに学校のタレントショーに出ることを勧め、「私は怖くてやりたくなかったのに、先生は『さあ、出てきなさい』って、言ったのを覚えている」。さらに、彼女はこう続けた。「ステージの上に立って音楽が始まると、何が起きたかわからないけど、私は…..変わった」。そして、彼女はスタンディングオベーションを受け、優勝。「私は『なんて最高なの!』と思い、歌手になりたいと思った。その前からそう思っていたのかもしれないけれど、ステージに立つのは、そのときが初めてだった」と。その後、ビヨンセの父親は彼女を地元のタレントショーに積極的に連れて行くようになり、彼女は35回連続で優勝した。
4という数字は、重要な意味をもっている。
多くの人は7がラッキーだと考えるが、ビヨンセは違う。4は彼女にとって特別な数字なのだ。彼女の誕生日(9月4日)だけでなく、夫であるJay-Zの誕生日(12月4日)、そして母ティナの誕生日(1月4日)でもある。そして、結婚記念日も4月4日である。また、彼女とJay-Zが薬指にローマ数字のIVのタトゥーを入れていること、娘のブルー・アイビーのミドルネームもIVにちなんでいると言われている。
映画『スター誕生』のリメイク版で主役になりかけた。
2018年に大ヒットを記録して以来、このサウンドトラックを聴くたびにレディー・ガガが、主演のアリー・メインとして私たちの頭の中に留まっている。しかし、映画『スター誕生』のリメイク版の主役を最初に打診されたのは、ビヨンセだった。実はガガとブラッドリー・クーパーが参加する前、脚本はクリント・イーストウッド監督の手に渡っていたのだ。「何カ月も、このリメイクを実現するためにスケジュールを調整しようとしたけど、不可能だった」と、2012年にビヨンセはエンタメ・ニュース番組「E! News」の取材に答えている。
映画『キャデラック・レコード』の報酬を寄付した。
2008年の映画『キャデラック・レコード』で、伝説のブルース&ジャズシンガー、エタ・ジェイムズを演じたビヨンセ。才能に恵まれながらも、1970年代にはヘロイン中毒でリハビリ施設を出入りしていた女性アーティストだ。役作りのために治療中の女性たちに会ったビヨンセは、「彼女たちの物語を通して、私たちは皆、さまざまな苦悩を抱え、克服すべき何かを持っているのだと気づいた」と語っている。さらにビヨンセは、「依存症には、取り除かなければならないさまざまな偏見があります。依存症は病気です。私が会った美しい女性たちは、依存症になることを選んだのではなく、良くなることを選んだのです 」と語った。ビヨンセは映画で得た報酬をブルックリンにあるリハビリ施設「フェニックス・ハウス」に寄付した。
マライア・キャリーが持つ記録と並んだ。
マライア・キャリーと並んで、ビヨンセは1990年代、2000年代、2010年代、2020年代と4つの異なる年代でナンバーワンヒットを確保した唯一のソロアーティストだ。ヴィジュアル・アルバム『ブラック・イズ・キング』をリリースする前に、メーガン・ジー・スタリオンとのコラボレーションによる「Savage」のリミックスで2020年最初のナンバーワンを獲得している。
一つのイベントでツイッターの記録を更新。
2011年、MTV アワードで 「Love on Top」の爆発的なパフォーマンス中に妊娠していることを明かし、ツイッター上で大騒ぎとなった。「私の中で育っている愛を感じてほしい」と観客に伝えた彼女は、心を込めて歌った後、スパンコールを散りばめたブレザーのボタンを外し、妊娠しているお腹を観客に見せたのである。この喜びの瞬間は、1つのイベントにおける1秒間の最多ツイート数(8,868)としてギネス世界記録を樹立。さらに、この授賞式はMTV史上最も視聴された番組となった。
クイーン・ビー (女王蜂)と呼ばれる理由。
「私は蜂の巣を2つ持っているんです。本物のね」。彼女は2020年12月号のUK版『VOGUE』の表紙インタビューでそう語った。「しばらく前から私の家にあるんです。約8万匹のミツバチを飼っていて、年に数百瓶のハチミツを作ります。ミツバチの飼育を始めたのは、娘のブルーとルミがひどいアレルギー体質で、蜂蜜には数え切れないほどの癒しの効果があるからです」
Text: Susan Devaney and Radhika Seth
From VOGUE.CO.UK
