グラミー賞 / Grammy Award
★グラミー賞2025のすべて──授賞式の日程やホスト、ノミネーションまで◆<概要・歴史>音楽界最高峰の祭典で、優れた作品を手がけた音楽業界のクリエイターを表彰するグラミー賞は、1959年に始まり、アカデミー賞(映画)やエミー賞(テレビ)、トニー賞(舞台)と並ぶ権威ある音楽賞だ。主催は、ミュージシャンやプロデューサーなど音楽のプロフェッショナルからなるザ・レコーディング・アカデミーで、前年の音楽業界の功績を讃える目的で毎年2月に授賞式が行われる。グラミーの呼称は、当初の名称「グラモフォン(蓄音機Gramophone)」を「グラミー(Grammy)」に縮めたもの。受賞者に渡されるトロフィーは、グラモフォンをモチーフにしたデザインだ。◆グラミー賞の歴史は、ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムとともに始まった。映画を中心としたエンターテインメントで活躍する人々の名前を刻んだ星型プレートをハリウッド大通り沿いの歩道に埋め込むイベントは1960年からスタートしたが、ウォーク・オブ・フェイム委員会に選出されたレコード会社の重役たちが、音楽業界においても同等の栄誉の機会として、アカデミー賞やエミー賞と並ぶ権威ある音楽賞の創立を考案した。時代とともに多岐にわたるジャンルを網羅していくアワードは、1980年代にミュージックビデオやレゲエ、ラップ部門、1990年代にはオルタナティヴ部門やテクニカル・アワードを設け、2000年には初のラテン・グラミー賞が創設された。2020年には、それまでブラックミュージックの示す「アーバン・コンテンポラリー」としてきた部門を「プログレッシブR&B」に改名。2023年2月発表の第65回にも新たに5部門が設けられ、ソングライター・オブ・ザ・イヤー(クラシック以外)、最優秀オルタナティヴ・ミュージック・パフォーマンス賞、最優秀アメリカーナ・ミュージック・パフォーマンス賞、最優秀サウンドトラック・アルバム作曲賞(ビデオ・ゲーム、その他インタラクティヴ・メディア)、最優秀スポークン・ワード・ポエトリー・アルバム賞、さらに特別功労賞としてベスト・ソング・フォー・ソーシャル・チェンジが贈られる。◆授賞式は、基本的にロサンゼルスかニューヨークで開催されているが、シカゴやナッシュヴィルで行われたこともあり、コロナ禍の2022年はラスベガスでの開催となった。2023年は2004年来、恒久的会場となっているロサンゼルスのクリプト・ドットコム・アリーナ(旧称:ステイプルズ・センター)で開催される。◆<選出方法>2023年については、各賞は2021年10月1日から2022年9月30日の間にアメリカ国内で商業リリースされた楽曲とアーティストが対象となり、登録した作品を2022年7月18日から8月31日までの期間に150人以上のレコード業界の専門家によって作品が正しいカテゴリーにエントリーされているかを審査し、ザ・レコーディング・アカデミー会員が主要部門(最優秀レコード、最優秀アルバム、最優秀楽曲、最優秀新人賞)とその他最大9部門に投票する。◆会員には学生もいるが、投票権があるのはアーティストやプロデューサーなど音楽制作に直接携わる投票会員のみ。長年の間にカテゴリーの見直しや増減が行われ、現在は91カテゴリーとなっている。◆授賞については、女性アーティストやヒップホップの冷遇などの偏向や、誰もが本命視する候補が受賞はおろかノミネートすらされない結果がしばしば物議を醸してきたが、2021年に選考方法の変更が行われた。実は1989年以降、約20人の匿名業界人が非公開で主要4部門の候補の絞り込みを決めたうえで会員による投票で受賞者が決められてきたが、この投票委員会が廃止され、2022年から1万人以上の投票会員によって選出されることになった。また、2022年9月に新会員を約2000名迎えたことで、2019年から女性の会員数は19パーセント、有色人種の会員数は38パーセント増えたという。◆<過去の有名な受賞者>これまで多くの才能を讃えてきたグラミー賞だが、記憶に新しいのはをビリー・アイリッシュの歴史的快挙だ。2020年の第62回では史上最年少の18歳にして主要4部門(年間最優秀レコード賞、最優秀アルバム賞、最優秀楽曲賞、最優秀新人賞)を独占、翌年の第63回にも最優秀レコード賞を受賞。2年連続受賞はロバータ・フラック、U2に続いて3度目、また19歳で史上最年少の記録となった。ちなみにビリー以前に最優秀アルバム賞受賞の最年少記録はテイラー・スウィフトの20歳(第52回)だった。◆2010年(第52回)にはビヨンセが、2012年(第54回)にはアデルが6部門受賞し、これが女性アーティストの一夜における最多受賞記録となっている。男性アーティストでは1984年(第26回)のマイケル・ジャクソン、2000年(第42回)のカルロス・サンタナの8部門が最多だ。ちなみにマイケルのトレードマークとなった片手のみ着用のスワロフスキーのグローブを初めて披露したのも、1984年の授賞式だった。◆ビヨンセが2023年(第65回)に最優秀ダンス/エレクトロニック・アルバムを含む4部門を受賞したことで、累計受賞回数が32回となり、歴代最多記録を更新した。◆日本の受賞者も数多い。1982年(第24回)にはオノヨーコがジョン・レノンとの『Double Fantasy』で最優秀アルバム賞、坂本龍一は1989年(第31回)に映画『ラストエンペラー』(1987)でサウンドトラック作曲賞、2001年(第43回)には喜多郎が「Thinking Of You」で最優秀ニューエイジ・アルバム賞、2011年(第53回)にはB’zの松本孝弘が最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞、ジャズピアニストの上原ひろみが最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞、クラシックピアニストの内田光子が最優秀インストゥルメンタル・ソリスト・パフォーマンス賞、2016年(第58回)には小澤征爾が最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞。ほかにも1987年(第29回)の最優秀アルバム・パッケージ賞受賞の石岡瑛子をはじめ、エンジニアなどのスタッフ、クラシックやジャズの部門でも多くの受賞者がいる。2019年(第61回)にはチャイルディッシュ・ガンビーノのミュージックビデオを監督したヒロ・ムライが最優秀ミュージック・ビデオ賞を受賞した。◆2023年(第65回)には、インストゥルメンタルアーティストとして活躍する宅見将典が、Masa Takumi名義でリリースした『SAKURA』が最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞に輝いた。また、打楽器奏者の小川慶太が参加しているバンド、スナーキー・パピーのアルバム『Empire Central』が最優秀コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞した。◆<グラミー史に刻まれたパフォーマンスや出来事>グラミー賞でしか見られない貴重なコラボステージや、各時代を代表するアーティストたちの熱のこもったパフォーマンスは、授賞式の見どころのひとつだ。2019年(第61回)には、最優秀ポップデュオ/グループ賞にノミネートされたBTSがリル・ナズ・Xと「Old Town Road」をコラボし、K-POPのグループとして初めてグラミーのステージでパフォーマンスを行った。BTSは2022年にも同賞候補として「Butter」をパフォーマンスし、『007』シリーズなどスパイ映画を思わせる演出で盛り上げた。2016年(第58回)にはケンドリック・ラマーが監獄の鎖に繋がれた姿で、燃え盛る炎をバックに「The Blacker The Berry」と「Alright」を披露。2012年2月にフロリダ州で高校生の少年が射殺されたトレイヴォン・マーティン射殺事件に触れた「2月26日に僕も命を落とした」と未発表の一節を付け加え、強烈なメッセージを放った。◆ベストを尽くすために妥協しない姿勢を見せたのは2017年(第59回)、ジョージ・マイケルの追悼パフォーマンスで「Fastlove」を歌ったアデル。音程が合わず、途中で演奏を止めて「ごめんなさい、やり直させてください。彼のためにもこれをめちゃくちゃにはできません」と謝って歌い直した。1998年(第40回)、出番の直前に体調不良を訴えて出演をキャンセルした世界三大テノールの一人、ルチアーノ・パヴァロッティの代役を務めたのはクイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンだ。リハーサルをする時間もなく、ラジカセでパヴァロッティが行ったドレスリハーサルの音源を聴いて本番に臨み、見事アリア「誰も寝てはならぬ」を熱唱した。◆アリシア・キーズが司会を務めた2019年(第61回)には、オープニングにレディー・ガガ、ジェイダ・ピンケット・スミス、ジェニファー・ロペスと並んでミシェル・オバマがサプライズで登場した。会場の大喝采の中、彼女たちはいかに音楽が自分たちの人生を変えたかを語った。一方、ノミネーションの不透明さが及ぼす授賞結果には多くのアーティストが異議を表明し、受賞者自らがスピーチで言及することも少なくなかった。2017年の第59回は、ビヨンセが黒人女性としての矜持を前面に打ち出した傑作『レモネード』を抑え、最優秀アルバム賞を受賞したアデルが「この賞を受け取ることは到底できません」「『レモネード』はまさに記念碑的で、とてもよく考えられ、美しく魂のこもったアルバムです」とスピーチした。ケンドリック・ラマーも、所属レーベルの共同代表によれば「彼はQueen Bey(ビヨンセ)が最優秀アルバム賞のトロフィーを獲れなかったことに本当に怒っている」と伝えられた。◆2015年(第57回)には、カニエ・ウェストが最優秀アルバム賞を受賞したベックがスピーチしようとした際に突如ステージに乱入する事件が発生。これもビヨンセの受賞をベックが阻んだことへの抗議だった。カニエは「撃術を軽視し続け、クラフトを尊ばず、音楽で記念碑的な偉業を成し遂げた人々を平手打ちし続けるのはインスピレーションへの冒涜だ」と語った。◆2019年(第61回)は最優秀新人賞を受賞したデュア・リパが、グラミー賞の女性アーティスト軽視の姿勢を批判。当時の会長が性差別疑惑について「女性たちがステップアップすべき」と反応したことに触れて、「今年、私たちは本当にステップアップしたと思います」と言い切った。最優秀ラップソング賞を受賞したドレイクはスピーチで「僕たちは事実に基づくのではなく、意見に基づくスポーツをプレイしていることを伝えたい。NBAのように1年の終わりに正しい決断を下したり、試合に勝ったからトロフィーを手にするのではない」「雨の日も雪の日も必死で稼いだお金でチケットを買ってショーにきてくれる人たちがいるなら、こんなもの(グラミー賞)はいらない」と断言した。◆2021年(第63回)には、大ヒットした「Blinding Lights」とアルバム『After Hours』で主要部門の大本命と目されていたザ・ウィークエンドが、主要部門で全くノミネートされないという驚きの事態が起きた。これにはザ・ウィークエンド本人が「グラミー賞は腐敗したままだ。俺とファン、業界に透明性を見せる義務がある」と怒りを表明。彼もドレイクも前回に続き、第65回もボイコットすると宣言した。◆グラミー史上ただ一度だけ、受賞後に賞を剥奪された受賞者がいる。1990年(第32回)に最優秀新人賞を受賞したデュオ、ミリ・ヴァニリだ。1989年にリリースしたシングル3曲が全米No.1となる大躍進を評価されたのだが、実は彼らは実際に歌っておらず、ミュージックビデオで口パク&ダンスしていただけであることが発覚、本人たちも事実と認めたことから賞は剥奪された。◆<歴代の司会者>記念すべき第1回授賞式の司会は、社会風刺の効いた話芸で知られたコメディアンのモート・サール。第2回はチャーリー・チャップリン監督・主演の『独裁者』(1940)でアカデミー作曲賞を受賞した作曲家のメレディス・ウィルソンが務めた。その後はフランク・シナトラやアンディ・ウィリアムズ、ジョン・デンヴァー、ケニー・ロジャースといった当時の人気シンガーが務めることが多かったが、1980年代後半から90年代はウーピー・ゴールドバーグ、ギャリー・シャンドリングなどコメディ俳優の起用が続き、ビリー・クリスタルやエレン・デジェネレスなどアカデミー賞の司会経験者も登場した。2000年代は司会者なしでの開催の年が多かった。2012年から5年間は俳優としても活躍するラッパーのLL・クール・J、2017年と2018年はジェームズ・コーデン、2019年と2020年はアリシア・キーズが担当。2021年〜2024年は連続でコメディアンのトレバー・ノアが務めた。