2011年7月23日午後3時54分(以下、現地時間)、ロンドンのカムデンにあるエイミー・ワインハウスの自宅に救急が駆けつけた。その11分後、救急の連絡を受けて到着した警察が、彼女の死亡を確認した。何度か検死が行われた結果、2013年1月にやっと死因はアルコール中毒と断定された。捜査当局の発表によると、薬物摂取の形跡はなく、遺体から致死量を超えるアルコールが検出されたという。長期にわたりドラッグとアルコールの問題を抱えていたエイミーは、2009年にもオーバードースで呼吸停止に陥ったこともあり、2011年5月にはアルコール中毒を改善しようとリハビリ施設にも入所していた。
死去した2011年の夏はヨーロッパツアーを控えていたため、体調を万全にしようとツアー前に1週間この施設で過ごし、6月18日にセルビア・ベオグラードでツアーをスタート。しかし、この初日は1時間以上遅刻してステージに現れたうえに泥酔状態。歌詞を忘れたり、マイクを落としたり、ステージに出てきてはすぐにひっこんでしまったりと、2万人の観客から大ブーイングを受ける始末だった。その後の公演は、体調不良を理由にすべてキャンセルされた。
10歳でラップグループを結成、16歳でプロの道へ
常に死と隣合わせのような人生を歩んできたエイミーだが、音楽好きの両親の影響で幼い頃からパフォーマーの道を目指していたのは確かだ。1983年9月14日に、タクシードライバー(後にミュージシャンに転向)の父と薬剤師の母のもとロンドンで生まれたエイミーは、10歳にして友人とラップグループ「Sweet'n'Sour」を結成。13歳のときに両親にギターをプレゼントされてから、より一層音楽に没頭していったという。
しかし、学校生活は孤高のシンガーの体質には合わなかったようで、演劇専門学校シルヴィヤ・ヤング在学時は、身体にピアスやタトゥーを入れたことが原因で、14歳で退学処分を受けてしまう。その後、公立校に通うもすぐに中退。すっぱりと学業を捨て、16歳でプロの音楽家としての道を選ぶこととなる。そして19歳でデビューアルバム『Frank』を制作し、2003年にリリースした。このアルバムが数々のアワードにノミネートされ、さらにフェスでも絶賛されることになり、特に英国内でその名を知られるようになる。
そんな彼女が大々的にブレイクしたのは、2006年にリリースした「Back to Black」から2年経った2008年。アルバム収録曲であるシングル「Rehab」が、全米チャートの9位にまで上がり、同年のグラミー賞で主要4部門を含む6部門でノミネート。最優秀新人賞をはじめとする5部門を受賞したのだ。
しかし、アメリカでの授賞式に参加する予定だったものの、2007年に大麻所持で逮捕された前科や暴行容疑などもあったため、ビザが下りず、ロンドンからの衛星中継によって式典に参加するという異例の形式となった。ところが、このスキャンダルが彼女の注目度をさらに高めることに。グラミー賞後はシングル「Back to Black」が全米第2位にまで浮上し、エイミーフィーバーが吹き荒れるのだった。
スキャンダラスな私生活とトラブル続きのロマンス
エイミーは、2007年にアメリカのフロリダで元音楽プロデューサーのブレイク・フィールダー・シビルと結婚したものの、2年後の2009年に離婚。エイミーの人生は、この結婚に大きく影響されたといってもいいだろう。二人の関係には、常にコカインやヘロインという薬物問題がついてまわっていた。エイミーの父によると、ブレイクと出会うまでのエイミーは薬物から距離を置き、クリーンな生活を心がけていたという。
しかし、彼と付き合うようになってからはどっぷりと薬物にハマり、どん底に堕ちてしまったというのだ。2008年にはファンの顔を殴打したとして逮捕されたり、激しい夫婦ゲンカによりお互いに流血しながら街を歩く写真がパパラッツィされる。また、コカイン吸引現場を撮影されて逮捕されたことも。ブレイクに至ってはコカインと飲酒でハイになった際に、パブの店主に暴行を加えて2年9カ月の禁固刑を言い渡されて服役するなど、常に夫婦は警察の厄介になっていた。
薬物を摂取していた間はガリガリだったエイミーだが、そのリバウンドで激太り。2009年に約5万6000ドル(約460万円)の費用をかけてBカップからDカップに豊胸した胸のインプラントの調子が悪くなり、急きょ病医院にかつぎこまれるなど、身体のほうも常にギリギリのラインで生きていた。その後、ブレイクと別れてからのエイミーは、映像ディレクターのレグ・トラビスと交際をして実父のお墨付きをもらっていたが、こちらも2010年に破局。
ただ、2011年の1月には、ブラジルで出会ったイギリス人のバーテンダーに夢中になり、周囲には「堅気になりたい」と話していたという。いい恋をして、これから人生を立て直そうというときに、誰もが予想しない最期を迎えることになってしまったのが非常に残念でならない。
ファン思いの素顔
スキャンダラスな面ばかりが取り沙汰されたエイミーだが、根はファン思いの優しい心の持ち主だった。ファンがロンドンのカムデンにある自宅の呼び鈴を鳴らすと、必ずといっていいほど外に出て来て、気さくにサインに応じることで知られていた。地元の子どもたちは思い思いの品を持って彼女の家を訪ね、その品物にサインをもらっていたくらいだ。
また、エイミーは自身が設立したレーベル「LionessRecords」の最初のアーティストである15歳のシンガー(デビュー当時は13歳)、ディオンヌ・ブロムフィールドの名付け親だった。彼女のステージがある際は自ら応援に駆けつけ、ステージを盛り上げたりしながら彼女のバックアップに尽力していた。
エイミーのその姿勢は死の直前まで変わらず、彼女は亡くなる3日前の7月20日にも、ロンドンのカムデン・ロードハウスで行われていたiTunesフェスティバルに出演していたディオンヌのステージに姿を見せ、彼女の歌に合わせてダンスを踊っていたくらいだ。ディオンヌも、これまでずっとそばで見守ってくれていた恩師がこんなに早くこの世を去るとは思ってもいなかっただろう。
世界を駆け巡ったレクイエイム
ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、カリスマギタリストのジミ・ヘンドリックス、ジョニス・ジョップリン、ドアーズのジム・モリソン、ニルヴァーナのカート・コバーン、芸術家、そしてミュージシャンのジャン=ミシェル・バスキア……。これまでに27歳の若さでこの世を去った才能あるアーティストは多い。そして、この歳に亡くなった彼らは「27クラブ」と呼ばれている。奇しくもこのクラブに参加することになってしまったエイミー・ワインハウスだが、突然の訃報に多くのミュージシャンやセレブたちが追悼のコメントを発表した。
いち早く彼女の死を嘆いたのは、彼女のプロデュースを手がけたミュージシャン兼プロデューサーのマーク・ロンソン。彼は「音楽的にはソウルメイトであり、妹のような存在だった。今日はぼくの人生のなかで、もっとも哀しい日のひとつだ」と語った。レディー・ガガは「エイミーはポップ・ミュージックを永遠に変えてしまった。彼女のおかげで希望はあるんだ、自分は孤独じゃないんだと思えたことを、今もはっきりと思い出すことができる。エイミーはジャズを生きて、ブルースを生きたのよ」とツイート。
さらに「ケリー・オズボーンは「号泣していて呼吸ができないほど。私は大親友の一人を失ってしまった。エイミー、私はあなたのことは一生愛するし、真のあなたを一生忘れない!」とツイートし、ローリング・ストーンズのロニー・ウッドはラジオを通して「楽しい時をともに過ごした友人を亡くすのはとても悲しい」、リリー・アレンは「悲しみをはるかに超えた感情。それ以外に例えようがないわ。彼女がいないと心が空虚になってしまうけど、どうか彼女の魂が安らかに眠らんことを」とツイッターに投稿した。
死後公開されたドキュメンタリー『AMY エイミー』に実父が猛反発
エイミー・ワインハウスがこの世を去った4年後の2015年。英国人監督のアシフ・カパディアが、エイミーが有名になる前の10代の頃から、亡くなった日までを追いかけるドキュメンタリー『AMY エイミー』を発表。第88回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞するなど、世界中で絶賛されたが、エイミーの父親ミッチだけは違う思いだった。
ミッチは自分が悪役として描かれているとして、今作をさまざまなメディアで批判した。「ガーディアン」紙によると、もともとは自身もドキュメンタリー製作に協力をしていたミッチだったが、映画が公開されると不満が爆発。自身のコメントが勝手に編集されるなど、事実と異なる描写が多数あると憤った。しかし、本音は娘を愛してはいるものの、彼女が本当に助けを必要としていたときも、名声とお金を手に入れることに夢中になりすぎているように見える自身の描かれ方が気にくわなかったとされる。
2006年にリリースされたエイミーの代表曲「Rehab」のリリックにも、2005年にアルコール中毒でリハビリ施設に入所間近のエイミーに、「入所は不要」と言ったミッチの言葉(And if my daddy thinks I'm fine/パパも、私は大丈夫だって思ってる)がある。ミッチはこれも、監督が「部分的に切り取った」とし、誤解を招く表現だと憤慨している。
伝記映画『Back to Black エイミーのすべて』の公開
エイミーが帰らぬ人となってすでに13年も経過したのが信じられないが、今年は彼女の伝記映画『Back to Black エイミーのすべて』が公開された。エイミー・ワインハウス役には『バービー』(2023)で王女バービーを演じたマリサ・アベラ、エイミーの元夫であるブレイク・フィールダー=シビル役には『フェラーリ』(2023)などに出演しているジャック・オコンネル、監督は『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(2009)のサム・テイラー=ジョンソンが務めている。
今作は主にエイミーと夫のブレイクとの波乱に満ちた関係にフォーカスしているため、キャリアや人生についてはあまり触れられておらず、なによりも残念なのが、2006年にリリースしたアルバム『Back to Black』の大ヒットの立役者であるプロデューサーのマーク・ロンソンのシーンなどがごっそりカットされているところ。ただ、エイミー・ワインハウスという人物を知らない人には、良い導入になるだろう。『AMY エイミー』と本作を比べてみるのも面白いはず。作風は違えども、両作からわかるのは、エイミー・ワインハウスがいかに繊細で愛情深く、音楽を心から愛していたかという事実だ。
ブレイク・フィールダー=シビルの今
エイミー・ワインハウスの元夫で、彼女にコカインとヘロインを吸引させて中毒にさせた本人、ブレイク・フィールダー=シビル。もともとはミュージックビデオ制作のアシスタントなどをしていたようだが、2005年にロンドンのパブでエイミーと出会い、2007年に結婚してからは定職にはついていなかった模様。二人は2008年にフィールダー=シビルが傷害罪と司法妨害の罪で服役した後、2009年に離婚をしている。
フィールダー=シビル自身もドラッグとアルコール中毒に苦しみ、その後、リハビリセンターで出会ったサラ・アスピンと結婚し、二人の子どもをもうけるも離婚。長男が1歳になった2012年には、オーバードースで緊急搬送され、生死をさまよっている。
その彼が、2018年にテレビ「グッド・モーニング・ブリテン」に出演し、パーソナリティのピアース・モーガンのインタビューでエイミーの死について、「自身も責任は感じているが、人々が分かっていないのは、エイミーは本人がやりたくないことは何もしていない」。つまりエイミーが自らドラッグを選んだと語っている。さらにその4年後の2023年、またもや同番組に出演。
「世間の人にエイミーの死の責任は自分にあると思われても仕方がありません」「当時の自分はまだ20代でドラッグ中毒者だったので、自分自身がクリーンになる方法も知らなかった」と語っている。現在は酒もドラッグも断ち、完全にクリーンな生活を送っているそうだ。
Text: Rieko Shibazaki
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