科学分野に限らず、ビジネスやソーシャルムーブメントにおいても頻繁に使われる言葉、「パラダイムシフト(規範の転換)」。元は、アメリカの科学者で哲学者のトーマス・クーンが1962年に発表した著書『科学革命の構造』のなかで提唱した学説で、「科学史において、それまで主要だった価値観が急激に変化すること」だった。
その後、社会科学の分野で多く引用されたため、元来の意味から離れ、現在では、多分野において「それまで当たり前だと考えられていた価値観や概念が、大きく変化する」という解釈で一般的に広く使われるようになった。
サンノゼ州立大学の哲学部のジャネット・ステムウェデル教授によると、「社会がある問題に直面し、解決方法を見出せない場合、つまり危機に直面したときに、今までの物事の見方自体を変えて、新しいアプローチを施さないと、局面を打開できない段階に達することがある。パラダイムシフトはそのときに起こる」
最近のアメリカで起こったパラダイムシフトは、2020年5月に始まった警察改革を求める抗議運動だとステムウェデル教授は指摘する。
人種差別が常態化した警察に対する不信感を募らせた市民が、「これまでの警察の構造は間違っている、今後は違うシステムが必要だ」と感じ、以前とは全く違うイメージを警察に対して抱いたことで、パラダイムがシフトしたと説く。
環境を私たちの生活基盤を構成する単なる素材としてではなく、地球全体で取り組まなくてはならない問題と考えるようになった気候変動問題も一例だ。多様性への理解の深まりによって、異性愛者でない人々に対する社会的価値観が変化したことも挙げられる。
ではパラダイムシフトが頻発し、新しい考えが次々と生まれることは社会にとって、ポジティブな変化なのだろうか?
マサチューセッツ工科大学の物理と科学史を専門とするデイビッド・カイザー教授いわく、「万人にとってパラダイムシフトが必ずしもよいことだとは限らない」。社会には多くのサブグループがあるので、ある一定の人々に対しては利益があるが、それ以外の人々も存在するためインパクトは不平等に与えられる。
例えば近年に一般化した「ギグエコノミー」と言われる、臨時労働者が単発で請け負う雇用形態では、個人に対する保障がなくなるなど、ネガティブな側面も。そのため「次々と発生する社会的変化や予期しなかった影響に急いで対応するよりも、前もって変化を予想し、悪影響を防ぐように努力すれば、シフトによるダメージも少ないのでは。シフトによって起こる良否を把握することが大切だ」と語る。
一方で、パラダイムシフトが全く起こらない社会に生きるとは「今存在する同じ概念を持つコミュニティの中にずっと閉じ込められ、なぜ他者や他の社会が違った視点で世界を見ているか、決して理解できなくなることだ」と警鐘を鳴らすのは、前出のステムウェデル教授だ。
「パラダイムシフトによって、他者を理解し、自分とは違った視点で物事を見る人々とも価値観をシェアし、コミュニティを築くことができる。分断をなくす一歩になるのです」
Photos: GettyImages Text: Azumi Hasegawa Special Thanks: Reina Shimizu Editor: Yaka Matsumoto