画面を直視できない、壮絶ないじめ描写(早送りの可能性大)
いじめは世の中には不要なもの、排除すべきものだと真剣に思う。それは人生の経験、実体験に基づき、自分なりに行き着いた考えだ。しかし、“親ガチャ”なんて言葉がカジュアルに使われる昨今、日常にはびこるヒエラルキーの概念がそう簡単に変わるはずもなく、受けれたくはないがいじめは起きてしまうものかもしれない。もちろん、人の痛みがわかる“強者”もいれば、人を傷つける“弱者”もいる。でも強者が弱者を掌握しがちなことは、紛れもない事実だ。
そんな愚かな世の中に、復讐の新たな概念を提示しているのが今作、「ザ・グローリー~輝かしき復讐~」なのかもしれない。この中で描かれるいじめを直視することは、困難だ。痛みが自分ごとのように伝わってきて、いてもたってもいられなくなる。拳が宙を舞い、衣服は剥がれ、挙げ句の果てにはヘアアイロンまで登場する始末。いくら家庭環境が原因であったとしても、他者をこうして傷つけることは決して許されることではない。これはドラマでありながらも、こうした事実は世界中のいたるところで今も行われているはず。親や教師、警察すら救ってくれないことがあるのは、日頃の報道を見ていても想像できる。
人の怒りを増幅させる、“加害者俳優”の名演技
体だけではなく内側に宿る魂までも奪われてしまった被害者を演じるのは、ソン・ヘギョ。18歳だった高校生が18年後、36歳の大人になり、奈落の底に突き落とした輩たちに復讐をはじめる。裕福な家庭に生まれながらも、人を陥れる品のない人間。人の下に人を作ることでしか存在意義を見出せない“元いじめっこ”たちは36歳になっても腐ったまま。彼らが悠々自適な暮らしをしている中、急にドンウン(ソン・ヘギョ)は姿を現す。
その後、被害者たちはパニクり、今の生活をキープするために右往左往するのが今作の流れだ。とはいえ、腐った奴らは腐ったなりに主人公・ドンウンに対抗していく。注目すべきは、「加害者側の邪悪っぷり」。そこがシリアスにエグみ180%で描かれており、今作のチャームのひとつと言ってもいいかもしれない。ドンウンを痛めつけた奴らは、もう、本当にイラつく。演技だと思えないほどに目に入ってきただけで虫酸が走る。
特に、加害者のトップ、ヨンジンを演じるイム・ジヨンの演技力は半端ない。こうして文章を打っている最中もストレスが溜まるほどだ。彼女への誹謗中傷が集まらないことを心から祈るが、仮に集まったらそれは「いじめっ子にしか見えなかった」という素晴らしい表現力があったという証拠だろう。とにかく、観てない人は今すぐにこの感覚を一緒に分かち合いたい。ここまでイライラして画面に水をかけたくなったのは、「ボーイズ・ドント・クライ」(1999)でヒラリー・スワンク演じる主人公がリンチをされるシーン、もしくは「家なき子」の榎本加奈子以来かもしれない。
それでも、幸せは芽生えていく
視聴していくいちに芽生えていく怒りと憎悪がエネルギーとなり、いつの間にか主人公を応援している。その中で少しずつ見えてくる希望に、いくばくかの安堵感を覚える。それが今作のアドレナインポイントだと思う。パートナーとなる“おばさん”とのやりとりや、イ・ドヒョン演じる“勝ち組”の医師ヨジョンとの絆に、幸せの意義を見出すドンウンの姿。“楽しい”と思えることの素晴らしさや、身近にある“幸せ”についてを考えないわけにはいかないだろう。
貧困な家庭に育ったドンウンと、大病院の院長の息子として生まれたヨジョン。ヒエラルキーや強者・弱者という概念を壊して心が通っていくふたり。同時に、ふたりを強烈に結びつける鍵となるのが「憎悪」である事実に、今作が一筋縄にはいかない持つものだと気付かされる。巧妙なパラドックスで構築され、単なる復讐劇とは呼べない。副題の“輝かしき復讐”が意味するものに期待が膨らんでいく。
黒幕がすべてを失うシーンを見たいがために全速力で視聴したのに、続きはまさかのシーズン2へ!(驚きと落胆。早く結末が知りたい)。「ザ・グローリー~輝かしき復讐~」のシーズン2は3月に公開する予定だ。