FASHION / TREND & STORY

シャネルの新章を築く、ヴィルジニー・ヴィアール。カールとの関係性やコロナ禍でのクリエイションを語る。

シャネル(CHANEL)のアーティスティック ディレクターに2019年2月に就任したヴィルジニー・ヴィアールカール・ラガーフェルドからバトンを受け継いだ彼女が、カールとのエピソード、現在の私生活、そしてコロナ禍に見舞われるなかで発表することとなった2021年春夏コレクション制作の舞台裏について明かす。 ※CHANEL 2021年春夏コレクションをすべて見る。

シャネルのアーティスティック ディレクターであるヴィルジニー・ヴィアールと、彼女の息子のロビンソン・フィヨット。 Photo: Anton Corbijn

粛々とシャネル(CHANEL)再創造中のヴィルジニー・ヴィアールは、物静かで口数の少ない女性かもしれないが、その言葉は率直かつ明快だ。彼女の友人でモデルで音楽プロデューサーのカロリーヌ・ド・メグレはこう言う。彼女の会話は「世間話の対極ね。彼女はそんなものをひねりだすすべを知らないから」

ヴィアールは初めて見たシャネルのショーをはっきりと覚えているという。それは1980年代後半のカール・ラガーフェルドの「キャンプ」なオートクチュールショーで、友人の父親のはからいで連れていってもらったのだった。そのコレクションにはとにかく帽子や手袋がふんだんに盛りこまれており、イネス・ド・ラ・フレサンジュ、マルペッサ・ヘンニンクといったモデルたちがランウェイを撮影するフォトグラファーたちに蠱惑的な視線を送っていたという。それで、ヴィアールはそのコレクションをどう思ったのだろうか。「最悪だったわ!」。彼女はあっさりとそう言う。「すごく古くさかったの」

ラガーフェルドの大切なスタジオ ディレクターであり、彼に「私の右腕であり……私の左腕である」と称された人物として知られるヴィアールは、2019年2月に彼が亡くなったあとにシャネルのアーティスティック ディレクターに就任し、同ブランドはこのオートクチュールのアトリエで作られたかのように、今なお絶え間なくエレガントな時を刻み続けている。仮に噂好きなファッション業界人たちが、また、シャネルの所有者で秘密主義で知られるヴェルタイマー家が、ラガーフェルドの後任に新たな有名デザイナーを据えることを期待していたとしても、彼らが連続性を選択し、経験や熟練の技術に報いることを予感させるヒントはたくさんあった。最後のふたつのコレクションでショーの最後にラガーフェルド自身が、1987年からともに働いてきた彼女を連れてランウェイに挨拶に出たのはその最たるものである。20世紀と21世紀のもっとも強力かつ重要なファッションの創造者、ラガーフェルドとガブリエル(ココ)・シャネルの長い影のなかに立っていたヴィアール(58歳)は、その伝説的ブランドの無名に近いデザイナーかもしれないし、前述のふたりに比べて人見知りで控えめといっても過言ではない。「彼女はことばではなく、行動の人なの」そう語るのは女優でシャネルのアンバサダーであるクリステン・スチュワートであり、彼女はヴィアールを「異質さを受け入れている──彼女自身とても変わっていて、そこに美しさがある」と形容する。

フランス有数の繊維産業の中心地リヨンで、医者である両親のもとに生まれたヴィアールは、父親がディジョン市の病院で働くことになったのにともない、この小さな地方都市に移り住んだ。子ども時代のヴィアールは、患者たちを元気づけるためにときおり看護師や医者の格好をして父とともに病院に行くことはあったものの、一度も両親と同じ医学の道を志そうと思ったことはなかったという。「医師と会うのも大好きだし、話をするのも大好きなのよ」現在の彼女はそう言うが、ずっと前に「私にはファッションのほうがずっと向いている!」と思ったのだった。

母から縫い物を教わったヴィアールは20歳のときに、祖父の工場で製造した布地を使って服を作るブランド、ニルヴァーナを友達と立ち上げた。若き日のガブリエル・シャネルと同じく、ヴィアールもジャージー素材を好んだ。「だって、特別な裁断が必要ないでしょう。着る人の体が服のシルエットを作ってくれるから」。そして、のちに地元のファッションスクールでパタンナーの技術に磨きをかけた。彼女は地元のコスチュームジュエリーの店で土曜日だけのアルバイトとしても働いたが「実際にはなにも売ってはいなかったわ」とヴィアールは言う。「私はお客さんが怖かったの! だけど、店内やショーウィンドウの模様替えは四六時中やっていたわ。ある週は赤がテーマ、次の週は緑という具合に」

カールと出会い、シャネルで働き始める。

ヴィルジニー・ヴィアールと故カール・ラガーフェルド。ヴィルジニーは1987年にシャネルのインターンとして彼のもとで働き出し、彼が亡くなるその直前までカールの右腕としてクリエイションを支えてきた。 Photo: Courtesy of Chanel

やがてパリに招き寄せられたヴィアールはそこで──コネの豊富なリヨン出身のルームメートを通じて──パリ社交界の女王ジャクリーン・ド・リブのもとでインターンをする機会を手に入れた。ド・リブはその当時、持ち前の非の打ちどころのないセンスと才能を自分のブランドに結実させようと決意したばかりだったのである。「私たちは彼女の家で働いていたの」ヴィアールはそう語る。「ファブリックを広げるのはいつもベッドの上で、コピー機はバスルームにあった。私は3人のアシスタントのひとりで──メンバーは全部で4人だったけど」

やがてヴィアールはブリュノ・ニュイッテンの『カミーユ・クローデル』(1988)やクロード・ルルーシュの『レ・ミゼラブル』(1995)などの映画の仕事で知られるコスチュームデザイナーのドミニク・ボルグのアシスタントになり、自らの天職を見つけたと思った。いっぽう、彼女の家族はずいぶん前にブルゴーニュの田舎の邸宅に越しており、そこでの隣人──モナコ公国のレーニエ3世の側近──はモナコ公国に家を持っていた。その隣人を通じてレーニエ3世の娘カロリーヌ公女と親しいカール・ラガーフェルドと出会うと、ヴィアールは臆することなくインターンを募集していないかとたずねたのだった。すると運命的にも、彼はインターンを募集していた。ヴィアールはラガーフェルドの側近で貴族階級のジル・デュフールに会うために、決められたとおりにカンボン通りに行き、その場で採用された。

「すぐさまカールに聞かれたわ。『きみはこれをどう思う?』とか『きみはこの色をどう思う?』って。私、しどろもどろになってしまった」。ヴィアールはそう回想する。インターンとして入ったヴィアールは、じきにフルタイムで働くようになった。「カールとヴィルジニーはすぐに意気投合した」ラガーフェルドのデザインチームのもうひとりの中心人物であるエリック・ライトはそう言う。「ヴィルジニーにはいつだってとても思慮深い冷静さがあり、でも、それでいて存在感とエネルギーは人一倍強く、大きな影響力を持っているんだ」

当時、チームは小さかった。デュフールとライトのほか、プレタポルテのアシスタントがひとり、さらにデュフールの姪ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌがシャネルの伝説的なコスチュームジュエリーを担当していた。ヴィアールはやがて、自らのコスチュームデザインの経験や几帳面な組織力を活かせる好機を見いだした。

「刺繍の責任者がいなかったのが私のチャンスだった」。ヴィアールはそう言う。そして彼女は伝説的な刺繍のアトリエの主である手ごわいフランソワ・ルサージュとともに仕事をするため派遣されることになったのだった。「彼とカールはどちらも強大なエゴの持ち主だった」。ヴィアールはそう語る。「ジャジャーン! そこで私の外交手腕の見せどころよ!」

ヴィアールはシャネルに宝石のような見事な手仕事を提供してくれる非凡な匠たちとのやりとりを楽しんだ。たとえばボタン職人のムッシュー・デリュは、毎日、12時にスーツケース持参でやってくるのだが、そのなかには宝石のような彼の作品見本が、紙に包まれて一個だけ入っていたりするのである。また、マダム・プージューはフランスの片田舎にある彼女の農場の家畜小屋の上にあるアトリエで、シャネルのスーツに使われるあのすばらしい縁飾りを編むのだった。「彼女のサンプルを受け取ると」ヴィアールはそう言う。「そのサンプルから彼女が飼っている馬たちのにおいがしたわ……幸いなことに、私は馬が大好きなんだけどね」。最近、シャネルはこうした存続が危ぶまれるメゾンダール、すなわち、卓越した技術を有する38の工房──たとえば羽根飾りとカメリアの工房、オーダーメイドの帽子工房、手袋工房、ひだ飾り工房、テキスタイルデザイナー、フットウェアデザイナーなど──を傘下に収め、そのうち11の工房がパリ北部にあるメティエダール専用の広大な新施設であり、来年オープンが予定されている「19M」にまもなく集結する。

カール・ラガーフェルドは自身が1964年からシャネルに加わる1982年までデザイナーをしていたロマンティックで詩的なレトロスタイルが特徴のクロエ(CHLOÉ)に1992年に復帰する際に、ヴィアールも連れていった。「なにをするにせよ、とにかく周囲に大勢の女性たちを置くことだ」実際的なラガーフェルドはそうライトに言ったという。「さまざまな個性を持つ女性たちを。そうすれば、彼女たちが次々にインスピレーションを与えてくれる」。1993年、アメリカ版『VOGUE』はヴィアールをラガーフェルドの新生クロエのスピリットを体現する「イット・ガール」として紹介した。「私、ヘンなものが大好きなの!」。ヴィアールは作家チャルラ・カーターにそう語り、カーターは彼女の赤と黄のストライプの異種ミックスなインテリアのなかに配されたスノードーム、プラスチック製の緑色のカエル電話、張り子のサボテンについて言及した。ちなみに、その赤と黄のストライプはステファン・ルブリナ(現在、シャネルのすばらしいセットを担当している)がブルームズベリー・グループの作品のイメージでペイントしたものだった。

Photo: Courtesy of Chanel

「私は一度もシャネルを着たことがなかった。そこで働いていたときでさえ!」当時、ヴィアールはそう打ち明けている。シビラヘルムート・ラングジョン・ガリアーノマルタン・マルジェラが彼女の選ぶデザイナーだった。「私は時折、垣間見える遊び心みたいなものが好きなの」彼女はそう語った。「だけど、あくまでもさりげなく。シンプルだけどリアルなものが好き、と言い換えられるかもしれないわね」。自ら「蚤の市の掘り出し物」と呼んでいるテイストのものなど、ヴィアールの刺激的なセンスは、彼女が着ていた赤のベルベットパジャマパンツと白のメンズコットンアンダーシャツといったコーディネートによく表れており、それはやがてラガーフェルドのボヘミアンをテーマにしたクロエコレクションに反映されたのだった。

クロエ時代のヴィアールは完全に夜型の生活を送っていた。「カールが出社してくるのがとても遅かったから」彼女はそう語る。「夜の11時出社なんてときもあったわ。なぜかというと、日中はシャネルにかかりきりだし、彼のブランドであるラガーフェルド(LAGARFELD)もあったから」。彼のデザインセッションはヴィアールが大好きなグランジミュージックやレッド・ホット・チリ・ペッパーズの音楽を流しながら行われるのが常だった。「音楽的には彼女ってとてもロック志向なのよ」ド・メグレは言う。「そして彼女は昔からそういう、その人を特徴づけるようなプラスアルファのある人が好きなの」。それが終わると、ヴィアールとライトは当時のファッション界御用達レストランだったシェ・ナターシャに深夜の食事に向かうのだった。ライトはヴィアールに俳優の友人がたくさんいることに感心したという。そして彼らはちょくちょくライトとヴィアールの食事に合流した。「ヴァンサン・ランドン、ジュリエット・ビノシュ、イザベル・アジャーニ──彼らはみな、なにを着るべきか、どういうふうに装うべきかについての彼女のアドバイスを信頼していたんだ」ライトはそう言う。「そして現在、フランス映画界に所属する若き女優や俳優たちはみな、彼女に絶大な信頼を寄せている」

カールのつくるシャネルに新鮮な風を吹き込んでいく。

昨年10月に開催された2021年春夏プレタポルテコレクションでは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、デジタルでの発表を選ぶブランドも多いなか、グラン・パレで観客を入れてのショーを行った。 Photo: Courtesy of Chanel

1990年代後半、ラガーフェルドはヴィアールをシャネルに連れて帰ることを決めた。「私が望んだのはカールと行動をともにすることだけ」そう彼女は言う。「というのも、私が復帰したころのシャネルはあまりいい時期ではなかったから。カールがネオプレン素材だけを使いたがっていたあるショーのことをよく覚えているわ。私は必死で、彼がツイードやらなにやらに恋をするよう仕向けた······だってシャネルでネオプレン、新しい型押しバッグですって? そんなの最悪じゃない! 私たちはロマンティックに回帰しなくてはならなかったのよ!」

「このときからヴィルジニーが戻ってきたんだなとはっきりわかるんだ」。ライトは言う。「なぜかというと、すべてがより純粋に、なめらかに変化したから。彼女は服のラグジュアリー、つまりクラフトマンシップやその美しさを愛している。だけど、いつだってほんとうに地に足がついているんだ」。ヴィアールのトレードマークであるフレンチボヘミアンスタイルは、やがて静かにラガーフェルドに影響を与え、シャネルの世界観をつくり替えていった。「彼女は服がすんなりとフィットすることを愛する。軽やかに、さりげなく。ヴィルジニーはシャネルのためにフレッシュさを発見していたんだよ」

そしてこうした性質が、現在のヴィアールのアーティスティックディレクターとしてのアプローチを形づくっている。「以前、カールにこうたずねたことがあるの。『ねえ、このヴィンテージのドレスのようなクラシックなミニ丈のシャツドレスを作れない?』って」そう語るソフィア・コッポラは、1980年代にシャネルでインターンをした経験がある。「そうしたら、彼はこう言ったわ。『だめだ。我々はけっしてうしろを振り返らない。我々はつねに前進しているんだ』と。ヴィルジニーは古いものを再検討することが好きだけれど、彼女の場合、それは必ず真新しい印象になっている。彼女自身の解釈にね。そして、それはレプリカにさえ見えないのよ」

コッポラはヴィアールの「パリ-カンボン通り31番地」と名付けられた2020年 メティエダールコレクションのアートディレクションを担当し、あの有名な階段と多面鏡状になった壁──ガブリエル・シャネルが相手から見られずに観客たちの反応をうかがえるように設置したもの──があるシャネルのクチュールサロンをグラン・パレに再現した。オリジナルのサロンはクリスチャン・リエーグルがラガーフェルドのために2000年代に現代的なブラックとグレイのインテリアに変貌させたものを、高名なインテリアデザイナーであるジャック・グランジが、ヴィアール好みの1930年代当時のサロンの雰囲気を想起させるものに改装中である。また、コッポラは1920年代の伝説的レストランであるラ・クーポールで、ロック愛好家であるヴィアールの世界が垣間見えるディナー&アフターパーティーを開くことを提案し、その晩そこでは若きベルギー人シンガーのアンジェルが歌い、有名なフランス人歌手クリストフが即興でパフォーマンスを披露し、人々を驚かせたのだった。クリストフが昨年前半に新型コロナウイルスに罹患したとき、ヴィアールは自らの2021年春夏プレタポルテコレクションのオープニングに彼の曲を使っている。

シャネル2021年春夏コレクションより。 Photo: Gorunway.com

シャネル2021年春夏コレクションより。 Photo: Gorunway.com

「パリ-カンボン通り31番地」プロジェクトに向けた下準備として、ヴィアールはパリ郊外にあるシャネルの驚くべきアーカイブが美術館のような状態で保存されているパトリモニーでコッポラと待ち合わせをした。「ヴィルジニーは配達用バイクを止めると、そこからひょいと下りて、ヘルメットを取り、こう言ったわ。『オーケー、さあ行きましょう』と」コッポラはそう語る。ヴィアールはコッポラを連れて、シャネルのシルクパジャマだったり、オプアートタイダイシルクブラウスに合わせた、揃いの裏地付きの1960年代のスーツのようなすばらしい宝物を引っぱりだしながら、果てしなく続くクローゼットの道を歩いた。「こうしたすばらしい品々を見せてくれる彼女はほんとうに幸せそうだった」コッポラはそう言う。「シャネルを心から愛し、その愛をシェアしたがっている人に案内してもらうのはとにかく楽しかったわ」。そして、こうした1960年代のスーツの裏地が「パリ-カンボン通り31番地」コレクションの一連のタイダイルックへとつながっていったのである。ちなみに、シャネルのアーカイブディレクターをつとめるオディール・プレメルは、重要なアイテムを新たに手に入れると必ず、そのテクニックを詳細に研究できるようにヴィアールやシャネルのアトリエの主要な人々のもとに持ってくる。「個人授業を受けるような感じよ」ヴィアールは言う。「ほんとうにすばらしい、作り手の愛を感じるわ!」

ガブリエルの遺産を探求するさらなる機会が訪れ、シャネルが資金提供し2年間におよぶ改修工事を終えたパリのファッション美術館、パレ・ガリエラでの「ガブリエル・シャネル ファッション マニフェスト」展をヴィアールとともに見せてもらえることになった。ヴィアールはラガーフェルドのクロエでの世界観を彷彿とさせる1920年代の夢のようなドレス類、プリーツクレープスカートに合わせた1934年のピューターシークインイヴニングジャケット、さらにはシャネル自身のアイボリーシルクデイタイムパジャマのような逸品たちに魅了される。「なんてモダンなの」ヴィアールは言う。「こういうところが、ほんとうに彼女を身近に感じるのよ」

「ガブリエルは自由であることを望んでいた──馬に飛び乗りたかったし、夢中で踊りまくりたかったし、仕事にも行きたかった」。ド・メグレは言う。「だから彼女は着心地のいい服を発明した。ヴィルジニーも私たちがいまなにを望んでいるかという、同じ問いに答える服作りをしているわ」

ガリエラツアーの終わりに、深い感動のうちにあるヴィアールは、苦心して自分の思いをことばにしようとする。「これは創造に捧げられたふたつの人生の記録だわ。カールが描いたいくつかのコレクションの数枚のスケッチを思い出す。いま思えばあれは、私がここで見たいくつかのディテールにインスパイアされたものだったんだわ。これは彼女(ガブリエル)の人生であり、彼の人生なのよ」

コロナ禍で迎えた、コレクションの舞台裏。

2021年春夏 プレタポルテコレクションのルックをマリカ・ロウバックにフィッティングするヴィアール。 Photo: Courtesy of Chanel

フィッティングが待つアトリエに帰る間際、ヴィアールはポストカードを買うためにギフトショップに立ち寄る。コレクションが終わったら、ラショームで花を買って各アトリエのトップに送る際に同封しようというのである。マスクの上で、ヴィアールの瞳がその思いつきに楽しそうに輝いている。

さて、今回の昇進でヴィアールの生活はどんなふうに変わったのだろうか。「これまで以上に働くようになったわ」ヴィアールは真面目くさってそう言う。「四六時中、働いているわ。言うなれば祖父母から繊維会社を受け継いで、それをトップ企業にしたい、祖父母に喜んでもらいたいと思っているような感じ。私は心のなかでよく問いかけるの。『カール、あなたはどう思う? これでいい?』とね」

ヴィアールの2021年春夏プレタポルテのショーの前の晩、名高いシャネルのアトリエには人々の熱気が充満している。さまざまな世代にまたがるアシスタントたちのほぼ全員が女性であり、共同作業に没頭するヴィアールは熱心に彼女たちの意見を聞いている。彼女たちの多くがもう数十年シャネルで働いている者たちだ。フォトグラファーのイネス・ヴァン・ラムスウィールド&ヴィノード・マタディンがヴィアールにスチール写真を見せにきていた。これは彼らが制作した3本の短いプロモーションティザー動画の写真で、片腕を無造作に椅子の背に乗せるガブリエル・シャネルの印象的な画像が並んでいる。次に彼らは、座り心地のよさそうな高い背もたれのソファに腰を落ち着けている。そのソファが置かれているアトリエ奥の壁際は、以前、ラガーフェルドが自分のデスクに向かい猛烈な勢いでスケッチを描いていた場所である。

しかし、ヴィアールは滅多に座ることはないようだ。彼女はアトリエの反対側の奥にある試着室でモデルたちのスタイリングにかかりきりで、あるルックに1930年代風のベール付きヘアバンドを加えるか、それともベビーピンク、つまり真珠風光沢のあるピンクのシャネルバッグがいいか熟考している。「すべてのものがすべてのモデルに似合うわけではないから」ヴィアールは説明する。「それに、彼女たちが着心地が悪いと感じた場合には、違う服に変更するようにしているわ」。シャネルのモデルを19年間つとめているアマンダ・サンチェスから、ヴィアールによればシャネル卒業生のイネス・ド・ラ・フレサンジュが自らの名を冠したブランドのカタログ用に発掘したルイーズ・ド・シェヴィニーまで、モデルの顔ぶれはじつに多彩である。

シャネル2021年春夏コレクションより。 Photo: Gorunway.com

シャネル2021年春夏コレクションより。 Photo: Gorunway.com

「彼女はほんとうに素晴らしいわ」ヴィアールはそう言い、1980年代のランウェイを闊歩していた力強く洗練された女性たちや、当時、ヘルムート・ニュートンの写真のモデルをしていた女性たちに似ているとシェヴィニーを絶賛する。「今回はフランス人モデルたちを大勢、使っているの」ヴィアールは海外渡航が制限されているいまだから、フランス人中心にキャスティングせざるを得ないことを誇らしげにそんなふうに表現する。

「彼女はモデルたちが大好きなのよ」。ヴァン・ラムスウィールドはそう言う。「彼女はモデルを愛し、よりいっそう美しく見せ、自信を与え、輝かせたいと願っている。そこには真の慈愛の精神がある」「ヴィルジニーのヴィジョンは日々の暮らしと、そのなかで人はなにを着るかということを重視しているの。ファッションや変化についてなにかメッセージを発しようとすることよりもね」ヴァン・ラムスウィールドはそう付け加える。「この会社の関心の的は『我々のしていることは時代に合っているか』ということではない。自分で自分を苛んではいないのよ。みんなにとってもっとも大切なのは、服を買う女性の暮らしの助けになること。つまり、とても女性的なアプローチなの」

そのコレクションのために、ヴィアールは自らの情熱を映画だけでなく女優たちにも注いできた。ヴァン・ラムスウィールド自身も、ガブリエル・シャネルが担当した衣装が印象的なヴィスコンティ監督の『ボッカチオ’70』(1962)でのロミー・シュナイダー、アラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961)のデルフィーヌ・セイリグを深く研究した。しかしながら、彼らはやがて知った。フランスのヌーヴェルヴァーグから2019年の『レ・ミゼラブル』(ファレル・ウィリアムスを通じて知り合った友人ラジ・リが監督した)まで幅広い映画の趣味を持つヴィアールは「現在からインスピレーションを受けているの。たとえば、レッドカーペットに立っていたり、空港やスターバックスに向かう女優たちから」そう教えてくれるのはヴァン・ラムスウィールドである。「それはある女性の日常、あるいはある日のさまざまな瞬間のためのワードローブという感じ。そこには一種の自由の感覚がある。これぞ押しも押されもせぬシャネルなのよ」

多忙を極めながらも、私生活は変えたくない。

左から映画監督のラジ・リ、俳優のスザンヌ・リンドン、シンガーのアンジェル、ミュージシャンのセバスチャン・テリエ、ヴィアールの息子ロビンソン・フィヨット、モデルのモナ・トゥガード、作家のアンヌ・ベレスト、モデル・作家のカロリーヌ・ド・メグレ。 Photo: Anton Corbijn

いまや数十億ドル規模のグローバルブランドのアーティスティック ディレクターであり、仕事量は飛躍的に増加しているというのに、ヴィアールにはそれに合わせて私生活を変えるつもりはないようだ。ラガーフェルドが世界有数のアールデコの至宝、次に美術館レベルの18世紀のインテリア、続いて最先端のコンテンポラリーデザインに囲まれて暮らしていたことはよく知られているが、ヴィアールは20年前に購入してアップグレードするつもりのない流行おくれの14区にある同じアーティスト用アトリエで暮らしている。「すごく気に入ってるから」彼女はそう説明する。「私がいつだって変化を望まないので、カールはいつも笑っていたわ。たとえば新車を買うときは、古い車とそっくりなものを買っていたから!」

ヴィアールはロックダウンの期間をパートナーである作曲家で音楽プロデューサーのジャンマルク・フィヨット(ヴィアールは彼を「私のフィアンセ」と呼ぶ)、25歳の息子ロビンソンとともに、彼女が20年前に買ったドローム・プロヴァンサルにある質素な村の家で過ごした(当初、フィヨットはそこを「スクワット(不法居住向きの空き家のこと)」と称していたが、その後、ヴィアールは多少の修繕を行った)。幸いなことに、フランスが厳格な外出規制に踏み切ったとき、少し前にメティエダールコレクションを発表したばかりで2021年春夏プレタポルテの構想を練っていたヴィアールは、コレクションとコレクションのはざまにあった。田舎暮らしではサイクリング、自宅プールでの水泳、さらに料理、掃除などをして気晴らしをしていたという。「私には成果を見ることがストレス解消になるの」。彼女はそう説明する。

パリへ帰り、マスク姿の仲間たちでいっぱいのアトリエに戻ったヴィアールは、さまざまな要素をミックスした2021年春夏コレクションの作業に突入した。そして同コレクションは目下、グラン・パレの曲がりくねったアールヌーボー鉄製構造物のもと、あの象徴的な「ハリウッドサイン」を真似た「シャネル」のセットの前でヴェールを脱いでいるところだ。「今回はいつもとはまったく異なるシーズンだ」ショー制作者のエティエンヌ・ルッソはそう言っていた。「しかし、我々はそれに適応しなければならない」。手伝いのために来ているフィヨットは、ロックスター風のスキニーブラックレザージーンズにフーディを着て、デイタイムタキシードを羽織っている。いっぽうヴィアールはそれと似合いの細身のロングブラックシャネルコート、細身のパンツ、パテントチェルシーブーツ姿で、驚くほど冷静である。ヴィアールがこれまで何十回と同じことを経験しているのは言うまでもないが、このシャネルの精密機械は、すべてが時計仕掛けのごとく予定通り進行するよう万全の手を打っている。たとえサポートチーム全員がマスク着用で、モデルたちがみな新型コロナウイルス検査を受けているとしても。

2021年春夏 プレタポルテコレクションショーのバックステージ。 Photo: Courtesy of Chanel

メゾンのミューズへ捧げるオマージュをテーマに掲げ、カラフルで活気に満ちたフレンチシックなアイテムがランウェイを彩った。 Photo: Courtesy of Chanel

コレクションはある古い映画のセリフ──ヴィアールは1955年のマックス・オフュルス監督の『歴史は女で作られる』(1995)だと考えている──が使用されているクリストフの音楽とともにドラマティックにスタートする。そして彼女はモニター上で見る最後のジャズエイジ風ブラック&ホワイトルックの一群が『去年マリエンバートで』(1961)の様式的なブロッキングを連想させることに心を躍らせる。

個人的なソーシャルメディアを毛嫌いし、できるだけ目立たないことを好むヴィアールは、必須の挨拶のためにステージ前方に進み出る前に、ほんの少し顔をしかめる。「彼女は自分ではなく、自分の作品に光を当てたいタイプなのよ」ド・メグレは言う。「それってとてもモダンだと思う」

バックステージでは、ヴィアールの友人たちが彼女を祝福する。「とてもグラマラスで豪華だった」そう語るのはミュージシャンのセバスチャン・テリエである。「だが、それでいてさりげない。とても軽やかで、この上なく愛くるしい」。大西洋の向こう側から見守っていたクリステン・スチュワートはこう言う。「彼女はほんとうに自分自身を理解しており、アーティストとして自らの声を伝えている。私にはそれが大きく、はっきりと聞こえるわ」

Text: Hamish Bowles Sittings Editor: Suzanne Koller