池澤 春菜(以下・池澤) 今はアニメやコミック、映画などさまざまなメディアにSFが当たり前のように溶け込んでいて、意識せずにSFを楽しんでいる方も多いかもしれません。ただ、SF小説だけを取り出すと、一大ブームは1970年代頃だったでしょうか。
大森 望(以下・大森) アポロ11号が月面着陸した1969年前後は世界で宇宙ブームが起こり、翌年の大阪万博では宇宙飛行士が月から持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館に長い列ができました。
池澤 その頃から「宇宙飛行士」が子どもたちの将来の夢に入るようになった。みんなが宇宙に希望を見いだしていた時代です。
大森 宇宙旅行が夢物語ではなくなり、現実味を帯びてきた。日本ではちょうど高度成長期と重なり、経済も科学もこれからさらに発展していくだろうというポジティブな未来観が共有されるなかで、小松左京や星新一、筒井康隆らのSF小説が大人気を博しました。
池澤 小説以外に目を向けると、日本では74年からTVアニメの「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」、ハリウッドでは77年からはルーカス&スピルバーグの「スター・ウォーズシリーズ」が始まっています。
大森 60年代から70年代の空気を吸った世代が今もSFファンのコア層なんですよね。その後、公害問題やオウム真理教事件などいくつかのネガティブ要因から科学に対する無邪気な信頼感が薄れたことは、SFブームが下火になった遠因のひとつかもしれません。もっとも、小説以外ではマーベル映画や日本アニメを含むさまざまな媒体で、超能力もの、ロボットもの、宇宙もの、終末もの、近未来もの、タイムトラベルものなどのSF作品が花盛りです。
池澤 映画では『DUNE/デューン 砂の惑星』の公開も予定されていますよね(※対談時は未公開、現在公開中)。この作品を手掛けたドゥニ・ヴィルヌーヴはSF小説の映像化が巧く、『ブレードランナー2049』も撮った監督なので期待できそうです。
大森 その前の『メッセージ』でも、エモーショナルな要素に加え、ハリウッド映画的なオチもつけて、テッド・チャンのSF短編「あなたの人生の物語」をうまく映画化していましたからね。
池澤 SFは欧米主導の印象が強かったけれど、近年中国本土でもSFブームが来ています。
大森 日本やアメリカがSFブームに沸いていた頃、中国は文化大革命でSFがいったん絶滅してしまった。それが鄧小平の改革開放後、80年代に復活したので、中国SFはまだ若いジャンルなんです。
池澤 国の方針として科学への信頼感を根付かせ、中国の未来が明るいことをSFを通じて伝えようという意図があるようですね。
大森 劉慈欣が2006年から書き継いだ『三体』三部作は世界的にヒットし、日本でも大ベストセラーになりました。この時代にあえて、宇宙人が地球に攻めてくるというオールドファッションドな設定で書いた点がユニークです。
池澤 もうこんなの使い古されていると思い込んでいたアイデアが、これでもかと突っ込まれた温故知新SF。SFは新しくなければという自分の固定観念に気づかされました。
大森 最近では、小説の世界でもSF要素があちこちに入り込んでいます。この夏、芥川賞を受賞した李琴峰『彼岸花が咲く島』は近未来のディストピア化した日本から脱出した少女の物語。ネット配信でドラマ化されて話題になった「侍女の物語」の原作もマーガレット・アトウッドによるディストピア小説の名作です。カズオ・イシグロの最新長編『クララとお日さま』ではロボットが語り手でした。
池澤 ジャンルの壁を軽やかにまたいでいく作家が増えてきた印象がありますね。
大森 一方、昨今のSFシーンの傾向としては、作家やキャラクターがジェンダー的にも人種的にも多様化しています。ジャンルとしてのSFが商業的に確立したのは50年代のアメリカで、その中心はアングロサクソンの男性たちでした。やがて70年代以降、女性や非白人作家が台頭し、白人男性の肩身が狭くなってきた。それに対するバックラッシュもありましたが、ここ5年ほどは“ダイバーシティSF”の天下になっています。
池澤 その代表が『第五の季節』を書いたN・K・ジェミシンでしょう。ジェンダーやマイノリティの生きづらさなども描いています。
大森 「特殊能力を持つ女性が主人公」という流行りのSFの典型が、16年から3年連続でヒューゴー賞長編部門を受賞したことに時代性が象徴されています。
池澤 だからといって問題意識をもって読まなきゃと構えなくてもいい。ただ面白く読んでいった先で自分自身の考え方のスイッチが切り替わるかもしれない。
大森 ジェミシンに限らず、女性やトランスジェンダーの作家の書く宇宙ものやタイムトラベルものが目立ちますね。アン・レッキーの『叛逆航路』もスペースオペラと呼ばれる娯楽的なジャンルの作品ですが、そこにさらりとダイバーシティ要素が入ってくる。作家のなかにはMtFのチャーリー・ジェーン・アンダーズやFtMのユーン・ハ・リーもいます。
池澤 リーの第一長編『ナインフォックスの覚醒』では、トランスジェンダーの登場人物の人称代名詞がthey/themになっていて、日本語訳は“彼人(かのと)”でした。今後、こうした人称をどう訳すかは悩みどころでしょうが、読み手としては興味深いと思っています。ジェンダーのテーマとして考えると、今読む意味があると個人的に思うのはメアリ・ロビネット・コワルの『宇そ宙らへ』と『火星へ』。作品の舞台は1950~60年代のアメリカ。ワシントンDCの郊外に巨大な隕石が落ちて地球環境が変わったために宇宙に移住するという設定です。主人公は数学の天才なのですが、女性だというだけで科学者や宇宙飛行士になるなんてとんでもないと言われる時代。困難なミッションのみならず、偏見や人種差別とも闘わなければならなくなる話なんです。
大森 実際、草創期の宇宙開発には女性たちも数多く携わっていましたが、ロケットに搭乗するなどして歴史に名を残すことはほぼなかった。その時代に女性が宇宙開発の主役になっていたら……というif(もしも)の歴史を書いたのが『宇宙へ』。よしながふみの人気マンガ『大奥』を思わせますね。男子が流行り病で死んでしまい、将軍家も女性を後継者にするしかなくなったら? という仮定から歴史が分岐する話ですから。
大森 中国でも女性作家は増えてきていますね。郝景芳(ハオジンファン)の『1984年に生まれて』は、作家自身と同じく1984年生まれのアラサー女性が主人公です。文化大革命を経験した親世代と、鄧小平の改革開放政策後に育った自分たち世代との価値観のギャップがテーマのひとつですが、題名はジョージ・オーウェルの『一九八四年』に由来します。主人公の生まれた年の中国は、現実ではオーウェルの想像した社会ほど重苦しいディストピアではなく、資本主義と奇妙な形で融合して繁栄する現在の中国とつながっている。でももしかしたら、『一九八四年』のようになる世界線もあり得たのではないか。作中で描かれるのは日本の現代文学で描かれるのと変わらない日常ですが、そこにSF的な視点を導入することで、同じものが前とは違って見えてくる。
池澤 小説を読むことで今まで見えていた世界の見方が変わるパラダイムシフトも、SFの大きな醍醐味のひとつでしょう。自分が当たり前だと思っていたことが裏返るわけですから。
大森 SFの持つ“未来を描く力”も読者を惹きつけます。オーウェルが『一九八四年』を出版したのは1949年でしたが、それから60年以上経ったトランプ政権下のアメリカで再び広く読まれたとか。アメリカ人は、自分たちの現状にオーウェルの描くディストピアを重ねて見たのでしょうか。スピルバーグが映画化したフィリップ・K・ディックの「マイノリティ・リポート」は、犯罪が予知可能になったらどうなるかを描いた1956年の短編ですが、結果的に、監視カメラが街のあちこちにあり、それを警察が解析すれば不審者が特定できる、そんな2021年現在を予見したようにも見える。ある仮定を小説の形でシミュレートして、気づきをもたらすのがSFだとも言えます。
池澤 SFは思考実験の小説で、“if(もしも)”を描くことができる。SFとはscience fiction(科学小説)であり、speculative fiction(思弁小説)です。後者は経験によらず想像力を使って、いろいろなことを思考/試行してみようという意味なんですよね。SFの持つ未来を想像する力、物語を作る力を使ったコンサルティング技法として今注目されているのがSFプロトタイピング、SF作家に自社の技術を使って未来を描く小説を委嘱し、そのイメージからフィードバックを得る試みです。企業にとっては小説を読むことで具体的な未来像が見えて、その先の一歩を踏み出す原動力となる。作家にとっては現場の技術者たちとのやりとりを通じて最先端の技術を肌身で感じ理解する機会が得られて、win-winの関係になっているわけです。
大森 素粒子実験用国際リニアコライダー(素粒子加速器)の誘致プロジェクトでも、3人の作家が自由な発想で執筆した「北上山地の地下にリニアコライダーのある未来」が誘致の広報活動に活用されました(『ILC/TOHOKU』)。そういう意味で、SFというジャンルは多彩な作家がそれぞれ考えた未来の可能性/思考実験データの宝庫とも言えますね。最近ではビジネス誌で「SFを読んで発想力を豊かにしよう」という特集が組まれるなど、意外なところで注目されています。
池澤 未来の可能性が明るいばかりとは限らないというディストピアを描くSFですが、これも時代とともに変化してきました。そもそもディストピアの対義語であるユートピアは管理が行き届き、個人間に差異がなく、みんなが同じ人生を歩む世界として描かれていました。それって、現代を生きる私たちにとっては理想郷でも何でもないですよね。
大森 飢餓に苦しむ人々にとってユートピアと見える社会が、別の人にとってはディストピアかもしれない。実際、『一九八四年』みたいな極端に抑圧的なディストピアはもうあまり現実味がなくて、みんなが自由でハッピーに見えてなんとなく閉塞感がある、ソフトなディストピアのほうが今はリアルに感じられますね。オーウェルの暗いディストピアとは違って、オルダス・ハクスリーが1932年に出版した『すばらしい新世界』では、子どもが工場で生まれるので親子のしがらみや面倒な家族関係もなく、カジュアルに性愛を楽しみ、だれもが人生に満足して、60歳でぽっくり死ぬ。それが果たして幸せなのかというのがテーマでした。それに触発されて伊藤計劃が2008年に刊行した『ハーモニー』は、病気の存在しない近未来が舞台。大多数の人間が健康かつ安楽に暮らす世界でも生きづらさを抱える人はいる、というところから物語が始まります。
池澤 未来に思いを馳せて描くなかで、世界がどうあったらみんなが幸せになれるのかを一人一人の作家が考えているんだと思います。昔のディストピアはフィクションとして描かれているけれど、今のディストピアは現実に近いかもしれないですね。誰もが持っている先の見えなさや、この先よくなることはないんじゃないかという不安が作品にリアルに反映されている感じがします。
大森 反対に、昔書かれたSFを読み返して、今の日本そのままじゃないかと発見することもある。
池澤 小松左京の『復活の日』も、コロナ禍でよく読まれているとか。
大森 あれはウイルスで人類がほぼ絶滅した後の話なので現在の状況との類似性はあまりないんですけどね。震災のあと『日本沈没』が読まれたように、災厄のあとは終末ものや往年の“大きなSF”が注目されますね。
池澤 大きな災害が起こると、小説に予言的な要素を求めてしまいがちなのかもしれないですね。
大森 でも、未来予測的な側面はSFの面白さのほんの一部です。たとえば、ディックの『ユービック』では、時間退行現象が起こって周りのものがどんどん昔に戻っていく描写が秀逸です。テレビが真空管ラジオになったり。
池澤 作中に時間退行を止めるための“ユービックスプレー缶”のCMが挿入されたり。
大森 現実に存在しないガジェット(道具)の面白さはSFならではですね。ドラえもんのひみつ道具や『進撃の巨人』の立体機動装置みたいなものです。SFと一口に言っても間口がとても広いので、ぴんと来たところから手にとってみるといいんじゃないでしょうか。
Artwork: M!DOR! Text: Yoshiko Yamamoto Editor: Yaka Matsumoto
