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「いくつになってもクールでいたい」──90年代グランジの顔、58歳のスーパーモデル、クリステン・マクメナミーのロックな人生

美しいグレイのロングヘアでハイブランドのランウェイを闊歩する、レジェンドモデルのクリステン・マクメナミー。「いつまでもキレイでいたいと思うのは、当たり前でしょう?」と語る58歳の彼女は、自身のインスタグラムで心と体をさらけ出し、日々自分らしく歳を重ねる素晴らしさをオーディエンスに発信している。ここでは、そんな彼女のモデルとしてのキャリアを振り返り、大胆不敵でロックな人生観に迫る。

「モデルになりたければ、整形しなさい」

ヘルムート ラング 1990-91秋冬コレクションより。 Photo: Aflo

「大学に進学したのですが、どうしてもモデルになりたくて中退しました。それからニューヨークに渡って、いろんなモデルエージェンシーのオーディションを受けたのですが、私に興味を持つところはありませんでした。それでも、絶対にモデルになりたかった。それ以外に何もやりたくなかったから。だからオーディションに落ちるたびに、まるでブルドッグのように歯ぎしりをしていたことを今でも覚えています」

カンサイ ヤマモト1990-91年秋冬コレクションより。 Photo: Fashion Anthology/Aflo

かつてUS版『VOGUE』にこう語ったクリステン・マクメナミーは、1964年12月13日、アメリカ・ペンシルバニア州イーストンに生まれた。アイルランド系アメリカ人化学技術者の父と看護師の母のもと、7人のきょうだいの3番目として育った彼女は、地元のノートルダムハイスクールを優秀な成績で卒業後、大学に進学。モデルを目指すためすぐに中退し、単身ニューヨークに渡りあらゆるモデルエージェンシーの門を叩いた。しかし、大手モデルエージェンシー「フォード」の主催者アイリーン・フォードから「成功するためには整形すること」と提言されるなど、結果は惨敗。

1990年代のクリステン。 Photo: Foc Kan/WireImage

1990年代、ナオミ・キャンベルと。 Photo: Foc Kan/WireImage

ランウェイで転倒するもベテランぶりを発揮

ジャン=ポール・ゴルチェ(JEAN PAUL GAULTIER)2022年秋冬オートクチュールで転倒したマクメナミー。 Photo: Pascal Le Segretain/Getty Images

Pascal Le Segretain/Getty Images

それでも、心折れることなくオーディションを受け続けた彼女は、リンダ・エヴァンジェリスタらが在籍する大手エージェンシー「エリート」主催のジョン・カサブランカの目にとまり、ついにモデルへの道を切り開いた。 そして、モデルデビュー後は、“キャラの立った”ウォーキングで“ヴァンプ”と称されるなどランウェイで世界中の注目の的に。

そんな彼女は、ジャン=ポール・ゴルチェ(JEAN PAUL GAULTIER)2022年秋冬オートクチュール、、ヴァレンティノ(VALENTINO)の2023年春夏オートクチュールショーと2年連続でウォーキング中に転倒するも、そんなトラブルさえもまるで“演出”のように見せる機転の効いた対応で、さすがのレジェンドぶりを見せつけていた。

スターダムへと導いた二人の男性

1997年、リンダ・エヴァンジェリスタと。 Photo: Ron Galella, Ltd./Ron Galella Collection via Getty Images

「カメラの前に立った私に、ピーターはただ『何かしてよ』というだけでした。そう言われても、どうしていいのかわからなかった私は、当時ヨガをしていたので、とりあえずいろんなポーズをとってみました(笑)。彼はモデルにあれこれ指示するタイプのフォトグラファーではなく、ただじっとモデルが自発的に動くのを待っているだけ。そして、彼自身が“今だ!”と思う瞬間にシャッターを切るのです」

1993年、スター街道へと導いた男性の一人であるフォトグラファーのピーター・リンドバーグとの初仕事について、ウェブメディア『Show Studio』にこう明かしたクリステン。その可能性に惚れ込んだリンドバーグが、1985年にジル・サンダー(JIL SANDER)のキャンペーンに起用した事で、一気に世界の注目を集めた彼女は、その後アルバート・ワトソンヘルムート・ニュートンリチャード・アヴェドンスティーブン・マイゼルら名だたるクリエイターたちのミューズとして君臨。中でも、ユルゲン・テラーは「これまで仕事をした中で最高のモデル」と彼女を評した。

フォトグラファーのアルバート・ワトソンと。 Photo: Dave M. Benett/Getty Images

Photo: ARNAL/GARCIA/Gamma-Rapho via Getty Images

そしてもう一人が、故カール・ラガーフェルドだ。彼に見出され、シャネル(CHANEL)の1985年の春夏オートクチュール・コレクションでランウェイデビューを飾った彼女は、以降彼のミューズとして様々なコラボレーションを展開。その後ヴェルサーチェ(VERSACE)ディオール(DIOR)ジャン=ポール・ゴルチェ(JEAN PAUL GAULTIER)など錚々たるメゾンの顔として、名実ともに世界を魅了するスーパーモデルへと変貌した。

永遠のグランジ・スピリット

アナスイ 1993年春夏コレクションより。 Photo: Condé Nast Archive

「グランジの楽しさは、お金をかけず手持ちの服でコーディネートすること。ラグジュアリー・ファッション全盛だった当時は、それがとても新鮮でした。そして、この新たなファッションムーブメントをテーマに、シンプルなフランネルのシャツにクリエイティブなヘアとメイクを合わせて、スティーヴン・マイゼルは『VOGUE』のために信じられないほど美しい写真を撮りました。私は、ヴェルサーチェでリチャード・アヴェドンが撮影したグラマラスな写真と同じくらい、マイゼルが撮ったこのグランジの写真が大好きです」

1992年12月にスティーヴン・マイゼルと共演した“グランジ”の撮影についてこう振り返ったクリステンは、同年イメージチェンジを図りキャリアを大幅に飛躍させた。当時シンディ・クロフォードらグラマラスでパーフェクトなスーパーモデルたちが世界を席巻する中、彼女はメイクアップ・アーティストのフランソワ・ナーズとタッグを組み、ずっとキープしてきた赤毛のロングヘアをバッサリとカット。さらに、ショートヘアを黒く染め、眉を全て剃り落とすという大胆なルックを作り上げた。そして、このルックのまま1992年のアナ スイ(ANNA SUI)秋冬コレクションに登場すると、世界のファッションメディアは“グランジ時代の幕開け”と書き立て、クリステンは瞬く間に時代の寵児となった。

ジャン=ポール・ゴルチェ(JEAN PAUL GAULTIER)1997年春夏オートクチュールより。 Photo: Victor VIRGILE/Gamma-Rapho via Getty Images

1996年、ヴィヴィアン ウエストウッドのショー。 Photo: PL Gould/IMAGES/Getty Images

シルバーヘアでエイジングを祝福

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「いつまでもキレイでいたい、素敵でいたい──そう思うのは、当たり前でしょう? 努力もせず『ありのままの私を受け入れて。このシワも、老いた体も』なんて言う50代の女性もいますが、私は違います。ファッションは現実ではなく、あくまでもファンタジー。だからいくつになっても、どの世代からも『クリステンみたいにクールになりたい』と言われる存在でありたいと思っています。ファッションでもビューティでも、歳をとることが“足かせ”になるようなことはしたくないし、あってはありません」

プラダ 2005年春夏コレクションより。 Photo: Mauricio Miranda/Fairchild Archive/Penske Media via Getty Images

こう語るクリステンは、同じく髪を切って成功を収めたリンダとともに“カメレオン”と評され、度々比較されてきた。しかし、リンダと決定的に違うのは、クリステンのカラーリングに対する“哲学”だ。2004年、プラダPRADA)の2005年春夏コレクションのランウェイで復帰した彼女は、以降ずっとシルバーのロングヘアをキープしており、その理由を2022年5月の『i-D』デジタル版にこう語っている。

「50代の女性の多くは、自分はまるで透明人間のようだと言います。社会は“若さ”を求め、女性が歳をとると“対象外”だとされてしまうから。でも、高校時代のあだ名は“スケルトン”で、卒業プロムの相手もいなかった私は、若い頃から透明人間状態(笑)。男性の目を意識した事がないので、いつも自分軸で生きてきました。若い頃は、そんな自分がモデルになれるなんて思ってもいなかったし、嫌いだったけれど今は大好き。敢えて言うなら、私は真っ白なキャンバスのようなもの。だから自分にはシルバーのロングヘアが一番映えると思っています」

ヴァレンティノのピンクのドレスを纏い、フェザーのアイメイクを施して。 Photo: Samir Hussein/WireImage

愛娘のリリーとともに。 Photo: Nick Harvey/WireImage

プライベートでは、1997年にイギリス人フォトグラファーのマイルズ・オルドリッジと結婚。1994年に一人娘でモデルのリリーをもうけたが、16年間の結婚生活の末に離婚している。現在は静かで穏やかな生活を送っていると言う彼女だが、そんなライフスタイルに相反して、そのスピリットはデビュー当時から変わることなく”ロック“だ。

Photo: Claudio Lavenia/Getty Images

「お金が手に入ったら、友達にあげたり、プレゼントしたり、服を買ったり。NYホテルに何カ月も滞在したこともありました。とにかく、お金は好きなように使うし、やりたくない仕事は断ったりもします。私はビジネスウーマンではなく、ロックな生き方しかできないから。本音を言うと、いわゆる“年相応の大人”になりたいとも思いますが、どうしてもなれないんです。なぜなら、私の頭の中はいつまでも子供だから。今は多様性が尊重される時代だし、こんな50代がいてもいいでしょう? 90年代を一緒に生きてきたナオミ・キャンベルドナテッラ・ヴェルサーチェケイト・モスは、ずっと好きで尊敬しているし、何よりアイコンとして今なお際立っている。私は、彼女たちのようにガッツのある人が大好き。だから、これからもやりたいことをやるだけです」

Text: Masami Yokoyama  Editor: Mayumi Numao