元々海に潜ることが趣味である私は、世界各地の海の現状を見てきた。どこの海が一番綺麗かと聞かれることもあるが、どんなに美しいビーチにもゴミは落ちていて、一つの海で繋がっているからこそ、どこが綺麗でどこが汚いという境目はないと感じている。以前住んでいたオーストラリア・ケアンズでは、パーレーという団体の人々が積極的に大掛かりなビーチクリーンを遂行していた。私も定期的に参加し、およそ20人で200キロものゴミを拾うこともあったが、その多くは、違う国から流れ着いたものが多かった。日本の海も同じだ。
「なぜ捨てる?」から「気持ちいい」へ。ゴミ拾いを続けて変化した心境
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コロナでロックダウンになった頃、早朝のビーチ沿いの散歩が私の日課となった。海面を力強く照らす朝日や潮の匂い、海の音がその頃の私をリフレッシュさせてくれた。しかし足もとをみれば毎日、無数のゴミが落ちている。散歩のときは袋とトングを持ち歩くようにし、海までの道沿いやビーチで目についたゴミを拾うようにしていた。袋が空で家につくことは一度もない。
ゴミ拾いをしていると「なぜゴミを平気で捨てられるのだろう」と、よくも悪くも正義感に似た気持ちが湧いてくる。もちろん誰かが意図的に捨てたゴミばかりではないが、誰かがゴミを捨てなければ、拾う必要もなく、街も自然も綺麗なままなのに、と当初はモヤモヤとした気持ちが心に広がった。しかし、「自分が正しくて、誰かが悪い」という考えでは、その両者をどんどん遠ざけるようにも感じた。そもそもゴミ拾いをする理由は、単純に地球に恩返しをしたいという純粋な気持ちからきている。だからこそ、心を支配していた正義感を一切手放し、自分の家を掃除する感覚でゴミ拾いを続けた。そしてこう気持ちを切り替えてからは、ゴミ拾いが一層楽しくなり、心から気持ちよいと感じるようになった。ゴミを拾ってるのは地球のためであり、それが自分のためでもあると本気で実感するようになったのだ。
#地球の汚れは私の汚れ
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インスタグラムには、「#地球の汚れは私の汚れ」というハッシュタグをつけて毎日その様子をストーリーズにアップした。最初はリアクションしてくれる人が数人だったが、それが次第に広がり、シェアしてくれたり、自分たちのゴミ拾いの様子をハッシュタグをつけて投稿してくれたりするようになった。連帯の輪は国境を超え、アメリカや日本に留まらず、オーストラリアやニューヨークに住んでいる人たちも参加した。その当時主宰していたオンライン瞑想コミュニティでも「エコクラブ」というチームが立ち上がり、毎月11日を “地球に優しい行動を起こす日”と決め、各地でみんなで取り組んだ。リアルな繋がりだけでなく、SNSを通じて一緒に「#地球の汚れは私の汚れ」の活動をする仲間までできたことは思いもよらぬ恵みとなり、ゴミ拾いがさらに楽しいものへと発展していった。
街のゴミはタバコの吸殻が断トツで多く、海のゴミはどこからか流れ着いた袋類や、発泡スチロールの破片、釣り糸、ペットボトルのキャップなどが多い。しかし海岸沿いで一番多かったのは、粉々になったプラスチックの破片だ。拾っても拾ってもキリが無い、マイクロプラスチックとも呼ばれる小さなプラスチックの破片たち。毎日拾っていたら、このプラスチックの元は一体何だったのだろうと考えるようになっていた。子どものおもちゃ? 何かの道具? そこから“ゴミ”に疑問を持つようになった。そもそもゴミと呼ばれるものの元はゴミではなく、すべて私たちに必要だったもの、使っていたものだ。要らなくなったからゴミになっただけ。その物たちに心を寄せるならば、ゴミと呼ばれるために生産されたわけではないのに、という気持ちが強くなっていくと同時に、ゴミと呼ばれることに悲しさが湧いてきた。少し特殊かもしれないが「ゴミ拾い」という言葉さえも何だか違うようにも感じ始めたのだった。
埋め立てられる120億トンのプラスチックの山
きっと多くの人が、この世界は物が溢れすぎていることに気がついている。使い終えたら、また新しいものが簡単に手に入る世の中で、世界のプラスチック生産量は83億トンを超え、すでに63億トンがゴミとして廃棄されたことが2017年に発表された調査でわかっている。回収されたプラスチックの79%が埋立てられるか、または海洋などへ投棄されている。そして世界のプラスチックのリサイクル率は、わずか9%にすぎない。ペットボトルをはじめとするプラスチック容器は、軽くて頑丈で機能的であるのは確かだが、一回限りで使い捨てるという認識そのものを見直すときなのではないだろうか。このままでは、2050年までに120億トンのプラスチックが埋立てられ、破棄されると言われている。
地球に恩返しをしたくて始めたゴミ拾い。でもそれは根本を考え行動するきっかけとなった。リサイクルも大事だが、それ以前にゴミを出さない生活が重要だ。社会全体で生産量を減らす必要があり、それには私たち消費者が消費量を減らす意識を持つ必要がある。「使い捨てになるもの、長く使えなさそうなものは買わない」「新しいものを手に入れる前に、セカンドハンドで済みそうなものは、そのシステムを利用する」「日用品もなるべくゴミを出さない選択に変える」など、毎日の生活でできることは本当にたくさんあるのだ。
私は365日のゴミ拾いを通じて、自分が地球に対してどう在りたいのか毎日示すことができてすごくうれしいと感じている。自分にできることは小さなアクションでも、心を込めて行えば必ず誰かにも伝染することも体験できた。これまで美しい自然にたくさん癒されてきたからこそ、今後も自らが考えアクションを起こし、地球に恩返しできる人間でありたい。
Text: Sayaka Itagaki Editor: Mina Oba