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心の解放からルッキズム考察まで。「ビューティー」を深掘りできる12冊の本【VOGUE BEAUTY NEXT】

現代における「美しさ」って? そんな答えの無い、それぞれの価値観で捉えるビューティーの概念をヴィヴィッドにしてくれる本。4つの“美”のキーワードから、全12冊の本をエディターがリコメンド。※2024年12月8日(日)に、Z世代とともにプロデュースする、新世代イベント「VOGUE BEAUTY NEXT」を開催。新しい美の価値観を発信するコンテンツが満載の特設サイトもチェックして。

1.「ジェンダー」と「セクシュアリティ」のバイアスを解く

〈左から〉『丸の内魔法少女ミラクリーナ』(2020・角川書店)村田沙耶香 『ウーマン』(2018・集英社)下村一喜 『共感と距離感の練習』(2024・柏書房)小沼理

「多種多様なセクシュアリティを知る」。「性的マイノリティを理解しよう」。近年メディアで誇示されている議題ではあるが、そもそも“当事者”という表現をしている時点でおかしな話である。皆、この事実の中で生活している限り全員が当事者。かつ、マイノリティと分断するのも、本来良くない。

短編集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』の「無性教室」には、性別という概念のない世界が広がっている。主人公「ユート」の本名は優子で、「女性であること」「異性愛者であること」は他者にバレないように学校に通わなければならない。性やセクシュアリティが解き明かされない中で、感覚、直感で他者に惹かれ、無条件に恋をする。この短いストーリーを読み終えた後、きっと誰もが自らの性的指向について疑いをかけるだろう。そんな、ニュートラルなゼロ地点に立つことが重要なのでは? と考える。さまざまな可能性を一秒でも意識することで、いわゆる世間で「性的マイノリティ」と呼ばれる人たちの感覚を“少し”汲み取れるかもしれない。

『共感と距離感の練習』にある、たった2ページの「善意」というエッセイを読むことでも、同じような思いもよらぬ気づきをもらえる。“今”のジェンダーやセクシュアリティが抱える問題と思想のギャップがギュッと詰め込まれ、「共感したい」「共感できない」相反する感情と向き合うことができるのだ。そして、さらに向き合いたいのが、ひとつの性、その中で無数に存在するアイデンティティ。写真家、下村一善による『ウーマン』には女性という生き物を俯瞰で捉え、同時に、著者の華麗なる独断によって女の正体を解き明かしている。「男性は女性を恐れ、生きている」という説、かつてのフェミニズムから紐解く現代女性の立場など、さまざまな角度で「女性」を切り取っていく。そこでハッとする。女性というジェンダーにも多くの無意識のバイアスがかかり、都度、その抑圧を振り払ってきたという事実。

LGBTQ+だけがバイアスという刃で切り裂かれているわけではなく、すべてのジェンダーやセクシュアリティに何かしらの思い込みのヴェールがかけられ、皆、霧の中にいる。私たちはその霧を少しでもクリアにして、美しい景色を見たいと思っているのかもしれない。『ウーマン』のとあるパートの締めくくりに、こんな一文がある。「女性は女性のまま、そのままで価値があるのですから」。このメッセージには、“誰だってそのままで価値がある”という真意が込められている。ここへ辿り着くために、皆、それぞれがルールにとらわれずに思い込みを取り払っていく過程の真っ最中だ。

2. 疲れた心をストレッチさせてくれる、言葉の波

〈上から〉『BLONOTE』(2022・世界文化社)タブロ 『「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(2017・夜間飛行)名越康文 『女のひとを楽にする本』(2001・主婦の友社)齋藤薫

現代人は忙しい。デジタル社会となった今、以前よりインフォメーション過多になり、頭はパンクしがちだ。職場、家庭、人付き合いなど、個が持つさまざまな“群れ”の中で何かしらの疲れを感じ、さらにSNSと通じて他者の思想が大量に流れ込んでくる。精神科医、名越康文の『「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』には、自らの感情に集中し、丁寧に向き合うことで健やかな心が取り戻せるバラエティに富んだアイデアが詰め込まれている。著者は「日本人には、他人や社会からの期待には、できるかぎり応えるべきであるという価値観が根付いています」と記し、他人のための人生から離脱することでいかに生きやすくなるかが説かれ、読み込むごとに自分の逃げ場が見つかっていく。非常に心地よい、現代人のためのルールブックだ。

そうしてひとりの空間をつくり、自らと向き合い始めると、シンプルな言葉が脳に届きやすくなってくるだろう。情報過多ライフから離脱し、例えば、詩集を手に取ってみる。『BLONOTE』には、誰にでも起こりうるシチュエーションと心情を、曖昧に、時に的確に捉えた数々の詩が綴られ、無意識に言葉の隙間に自分のハートを差し込みたくなるニュートラルなノートだ。「僕の心は 一日のうちに四季を経験した」。この詩を読んだ時、気持ちがスッと楽になった。きっと、どこかやる気を失っていたけれど、かつて経験した情熱的な自分を思い出させてくれたからだろう。こうした自己との対話が、心のストレッチとなる。それでも心が不安になり、影を払拭できないシーズンはあるはず。もっと具体的なレスキュー方法を! と、切羽詰まった人は、23年前に出版された美容ジャーナリスト、齋藤薫による『女のひとを楽にする本』を。コレには2024年にも通ずる数々の悩みとアンサーが鋭く書かれている。

「仕事」「恋愛」「自分、そして人間関係」「結婚」、最後に「人生」。5つの章で語られる、著者の的確で柔和な問題解決の糸口を読み終える頃には、自らが抱える悩みの30%くらいは解決している(個人差あり)。20年以上前から「美しさは心の豊かさがつくる」、と具体的に謳ってきた著者の初期の書籍ゆえ、言葉のひとつひとつが煌めいて、ずっとあたたかく心を照らす。「女がひとりで生きることは思いのほかつらくない」論など多彩な解決法は、不安に染まり疲れ果てた心の処方箋になるだろう。

>> 『BLONOTE』の著者、韓国ラッパーTABLOのインタビュー記事はこちら

3.「ルッキズム」を外側から眺め、美しさについて考える

〈左から〉『ハンチバック』(2023・文藝春秋)市川沙央 『ブスの自信の持ち方』(2019・誠文堂光社)山崎ナオコーラ 『あのこは美人』(2020・早川書房)フランシス・チャ

外見至上主義、そして、美醜差別やその問題などを内包する言葉「ルッキズム」が巷で使われるようになり、この数年はカジュアルに「そもそも美醜とは?」という根幹の部分から議論がなされるようになった印象だ。パッと見の印象から多くの情報を得て、自分なりの解釈で「この人はこう」というコードをつけている私たち。

日本よりもカジュアルな整形カルチャーが色濃く反映された韓国を舞台にした小説、『あのこは美人』。登場人物のひとり、スジンの顔のクオリティへの執着から物語は始まる。スジンが憧れるのは高級ルームサロン(日本でいう高級クラブ)で働くキュリ。それぞれ、世の中にあてがわれた美醜コードに縛られ、人生のコンセプトさえ決められてしまったような印象だ。ちなみに原題は「If I Had Your Face」。生まれたヴィジュアルで、仕事や生き方まで制限される世界。曲がった価値観だ。もちろん韓国人全員が美醜コードに縛られてはいないが、勝手に決められた「美しさの基準」に振りまわされている現状は透けて見えてくる。

たしかに見た目がもたらす影響はある。自分自身もこの人生で数々の面接を受けてきたけれど、無愛想に見える顔のつくりゆえいくつものチャンスが流れていった印象だ(自分調べ)。「そんなことないよ」なんて声をかけてくれる人がほとんど。しかし、パッと見でふるいにかけられ、逆にかける人が存在するのは紛れもない事実だ。山崎ナオコーラの『ブスの自信の持ち方』は、現代における「ブス」のレッテルや「ブス」という言葉を多面的に分析した学術書のような本で、サンプルは著者自身という今までなかったタイプの書籍である。「自分のことは可愛いと思ったほうがいい」という意見が聞こえてきても私は頷けない、といった素直な心情と、「ブス」というコードで振り分けられた人のありのままの言葉たち。「ブス」。この言葉やコード付けで不条理な環境に身を置くことになった人は必ずいる。だから、「ブス」という言葉を封印する——なんて都合のいい綺麗ごとにしてはいけない。「美人」「ブス」、美しさ、醜さの基準を人間たちが構築してきたからには、こうして言葉から紐解き、解体していく必要がある。

しかし、自らにこびりついたルッキズムを意識する瞬間もこれからたくさんあるはずだ。「私の身体は生きるために壊れてきた。」この強烈過ぎる一文にすべてが込められているであろう、『ハンチバック』の主人公、釈華の身動きがとれないハンディキャップだらけの生活を見つめ、哀れに思ってしまう。そして、哀れだと思う自分の感情にショックを受ける。釈華の生きる姿を断片的に眺め、ラスト締めくくりでぐるりと物語が反転し、ひたすら戸惑う。このこびりついたコードは、どうやって剥がすことができるのだろうか。その答えはわからない。でも、『あのこは美人』のどこか爽やかな余韻を残すラスト、4人の連帯感を見て思う。美しさは外見ではない、と。ルッキズムを排除するのは簡単なことではないけれど、内面の美しさをどんどん発見していく作業はいくらでもできる。その先には、ルッキズムや美醜コードが薄まっていく世界があると祈りたい。

4.「自己愛」「自意識」と向き合い、心を解放する

〈左から〉『ナナメの夕暮れ』(2021・文春文庫)若林正恭 『自分が嫌いなまま生きていってもいいですか?』(2023・講談社)横川良明 『愛なんて嘘』(2014・新潮文庫)白石一文

誰も気にしてないことが気になったり、人目を意識して身動きが取りづらくなったりすることはないだろうか。少なくとも自分にはある。オードリーの若林正恭による『ナナメの夕暮れ』は、彼のねじれた世界への偏見と“わからない”の追求が淡々と綴られたエッセイだ。ここまで自らの「なぜ?」「どうして?」を深掘りできるのはすごい。そう感じつつも、自分も自分自身の尺度でさまざまな頑固さを持って世の中をサバイブしていることに気づく。

著者は“セルフラブ”なんて言葉は絶対に嫌がると思うが、愛にあふれた“セルフラブ”追求本だと呼べるだろう。スターバックスで「グランデ」と言うことが偉そうだから言えなかった著者の、自意識過剰解放運動。彼のさまざまな葛藤は、生きていく上での美しいガソリンに他ならない。要するに、等身大の「拗らせ」と「自問自答」を深掘りしていくと、自らの光と影を見つめる作業になる気がするのだ。「自分を嫌いになった理由」が記された『自分が嫌いなまま生きていってもいいですか?』にもそんなプロセスが丁寧に、リアルに書かれている。

「家族をのぞく他者から愛されない限り、自分を好きにはなれない」という理論を述べた直後、ページをめくると第3章「進め! 自分好き人間への道」が始まる。が、外見改善をしてみたが、心根が変わらない限り変わらない、といったリアルな思想と着地点が示され、読んでいてやるせなくなる一方で正直な心の吐露にどこか救われるのだ。自分を好きになれればそりゃハッピーだけど、人生そう簡単にはいかないよね、とポンポンと背中を優しくノックされている気分(著者にはそんな意図はないと思う)。と同時に、疑問が浮かぶ。「愛されないと自己愛は満たされない?」

無論、答えは存在しない。でも『愛なんて嘘』の中にある物語、「夜を想う人」からは、孤独の先にぼんやりと灯る鮮やかな幸せを嗅ぎとれる。「自己愛」は、結局自分自身“だけ”で構築すること? と思えてくる。ほかのストーリー含めた六篇からは、孤独であることでしか絶対に得ることができない充実と探求、自分へと向かう愛情の真意が漂う。自意識ととことん向き合うことで、自分を幸せにしてやれるのは自分だけ。美しい景色を見るための、ひとつの思考かもしれない