ゲイリー・オールドマン セックス・ピストルズのシド役を熱演した舞台俳優。
映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(17)で第90回アカデミー賞主演男優賞を受賞したゲイリー・オールドマン。もともと舞台俳優だった彼が最初に脚光を浴びたのは1986年、映画『シド・アンド・ナンシー』でセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを演じた時。実はアレックス・コックス監督の念頭にあったのはダニエル・デイ・ルイスだったが、ゲイリーが主演する舞台を見て、彼にオファーしたそう。
映画よりも舞台を重視していたゲイリーは、シドにもセックス・ピストルズにも興味がなかったが、エージェントの熱心な勧めと、舞台に比べて映画出演のギャラが高額だったこともあり、引き受けることに。カメレオン俳優の異名をとる徹底したアプローチはこの頃からすでに行っており、ヘロイン中毒だったシドのやせ細った体躯を目指した無理な減量が祟り、短期間入院する羽目にも陥った。
入魂の演技は高く評価されたが、本人は満足していないようで「もし偶然放送しているのを見たら、テレビを投げ捨てるだろうね」と話している。ただ、本作をきっかけにキャリアを映画界にシフトし、数々の名演で同業者たちから尊敬される名優になったのは周知のこと。ターニングポイントになったことは間違いなしだ。
シアーシャ・ローナン ジョー・ライト監督の抜擢で今やオスカー常連女優に。
9歳の時、地元アイルランドのTVドラマ「The Clinic」でデビューしたシアーシャ・ローナン。11歳でジョー・ライト監督に抜擢され映画『つぐない』(07)に出演した。1930年代イギリスの裕福な邸宅に暮らす、小説家を夢見る少女の複雑な心を巧みに表現し、13歳という史上7番目の若さでアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。
普段は今もアイルランド訛りだが、オーディション用のビデオで完璧な1920年代風の英語を話していたシアーシャ。その映像をみて、ロンドンで行われたオーディションに彼女を呼んだライト監督は、アイリッシュアクセントを話す彼女を人違いだと思ったそう。だが、ともに脚本の読み合わせを始めるや、ずば抜けた才能に気づかされたという。映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(17)の監督でもあるライトは、『つぐない』でのシアーシャとの仕事を、ゲイリーとのコラボレーションに近い創造的なものだったと語っている。
実は同時期に、とあるアクション大作映画のオーディションにも受かっていたシアーシャ。提示されたギャラはずっと高額だったが、自ら『つぐない』を選んだ。自分にとって何が正解か、常に良い判断をしてきたと自負するだけあり、映画『ブルックリン』(15)、映画『レディ・バード』(6月1日より公開)でアカデミー賞主演女優賞候補となり、23歳にしてオスカー常連女優の仲間入りを果たした。
レオナルド・ディカプリオ ガムのCMから始まり、映画『タイタニック』で大ブレイク。
5歳の時、あまりの落ち着きのなさに幼児番組のセットから追い出されるという衝撃の業界デビューを飾ったレオナルド・ディカプリオ。義兄(父の再婚相手の息子)が子役だった影響もあり、オーディションを受けるものの落ちてばかりだったが、14歳でCM出演のチャンスをつかんだ。
ミニカーやシリアル、チーズなどのCM映像はYouTubeにもアップされているが、最も知られているのは単独で出演した「Bubble Yum」ガムのCM。ディカプリオが風船ガムを破裂させると、両脇の巨大スピーカーが破壊される。その衝撃をまともに受け、一瞬素に戻りつつも演技を続ける健気なプロ意識は、その後の飛躍を約束するものだったのかも。
これを突破口に映画やドラマ出演もするようになり、日本でも放映されたTVシリーズ「愉快なシーバー一家」(91〜92)にレギュラー出演、93年に映画『ボーイズ・ライフ』で共演したロバート・デ・ニーロがその才能をいち早く絶賛。続いて出演した映画『ギルバート・グレイプ』(93)で19歳にしてアカデミー賞助演男優賞候補になり、瞬く間に実力も人気も誇るスターに成長したのはご存知の通り。映画『タイタニック』(97)でさらなる大ブレイクを果たした後は日本のCMにも多数出演することとなった。
ライアン・レイノルズ オーディションを受けた理由は、家から逃げ出したかったから!?
映画『デッドプール』(16)という当たり役に続いて、今度は「ポケットモンスター」のハリウッド実写映画化でピカチュウを演じる予定のライアン・レイノルズ。型破りなヒーロー役で人気を博し、愛妻ブレイク・ライブリーとのインスタグラムを介したやりとりでも軽妙なユーモアセンスを見せる彼の芸歴は長い。
カナダ出身の彼は1991年、14歳でティーン向けの学園ドラマ「Hillside(原題)」でデビューした。13歳の時、バンクーバー市内のハイスクール全校に同番組のオーディション出場募集がかかり、5000人の応募者の中から選ばれたのがライアンだった。父親が警察官で4人兄弟の末っ子という環境で育ち、「13歳になる頃には逃げ場を探していた」のがオーディションを受けた理由の1つだったという。
TV番組「ニコロデオン」で放映され、当時ティーンに大人気だったTV番組「Hillside(原題)」でライアンが演じたビリー・シンプソンは、少しギークな男の子。初々しい表情にちょっと硬さはあるものの、全くの未経験者だったいうことを考慮するとかなりの演技力だ。
スカーレット・ヨハンソン 大人びた雰囲気を醸し出していた13歳のベテラン。
映画『ロスト・イン・トランスレーション』(03)や映画『真珠の耳飾りの少女』(03)で脚光を浴びたスカーレット・ヨハンソン。10代だった当時から大人びた表情と妖艶さが脚光を浴びたが、当時すでに10年近いキャリアを持つ若きベテランだった。
8歳でオフブロードウェイの舞台に立ち、ショーン・コネリーの娘を演じた映画『理由』(95)や、12歳でインディペンデント・スピリット賞主演女優賞候補になった映画『のら猫の日記』(96)を経て、1998年にロバート・レッドフォード監督兼主演の映画『モンタナの風に抱かれて』に出演。
彼女が演じたのは乗馬中の事故で右脚を失った13歳のグレースだ。重傷を負ったばかりか、一緒にいた親友の事故死を目撃したトラウマに苦しむ少女が、馬を癒す能力を持つカウボーイとの出会いを通して少しずつ再生していく様子を繊細に演じた。役を深く理解し、演じた彼女の内面の成熟について、レッドフォードは「13歳だが、中身は30歳」と評した。親友のジュディスは、これがデビュー作だったケイト・ボスワースが演じている。
キルステン・ダンスト 『スパイダーマン』シリーズのヒロインは、キッズモデルだった!
もうすぐ婚約者のジェシー・プレモンスとの第1子が誕生予定のキルスティン・ダンスト。「3歳から働いていたんだから、そろそろ子どもを持って、ゆっくり過ごす時よ」と本人が語る通り、フォードやエリートといった一流エージェンシーと契約し、CMで活躍するキッズモデルだった。6歳の時にオムニバス映画『ニューヨーク・ストーリー』(89)で映画デビュー。
一躍注目の的になったのは映画『インタビュー・ウィズ・バンパイア』(94)。時代を超えて生き続けるヴァンパイアをトム・クルーズとブラッド・ピットが演じ、トム扮するレスタトによって、幼い肉体のままヴァンパイアにされてしまう少女クローディアを演じたキルステンは撮影当時10歳だった。どれだけ年月が過ぎても、見かけは幼い少女のままだが、精神は大人の女性に成長し、心身の乖離に怒りと悲しみを募らせていく難しい感情を演じきり、ゴールデン・グローブ賞助演女優賞にノミネートされた。
同作では初めてのスクリーンキスも経験。相手はブラッドだったが、10歳のキルステンは19歳も年上の彼とのキスを「気持ち悪い」としか感じなかったそう。ちなみに共演して以来、トムからはクリスマスケーキが毎年送られているそう。ホワイトチョコチップ入りのココナッツ・ケーキで、「クルーズ・ケーキ」と名づけて、毎年楽しみにしているとイギリスの雑誌で語っていた。
Text: Yuki Tominaga