ヴィヴィアン・ウエストウッド / VIVIENNE WESTWOOD
■概要 イギリス人デザイナー、ヴィヴィアン・イザベル・スウィアによって「ヴィヴィアン・ウエストウッド」として1983年のパリコレクションにてデビュー。イギリスの伝統的なクラシックとパンクが融合したスタイルで一躍人気となり、2006年には英国人デザイナーとして初めてエリザベス女王より「Dame」の称号を授与、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ジ・イヤーも3度受賞するなどイギリスを代表するブランドの一つである。レディスのほかメンズ、小物、フレグランスなどラインも多岐にわたり展開している。王冠と地球をモチーフにした「オーブ(ORB) 」がブランドのアイコンロゴ。アパレル、バッグや財布などのアクセサリー、ジュエリー、アイウェア、時計、香水、と幅広く展開している。日本では96年に日比谷にて「ViVienne Westeood Tokyo」を開店。 ■歴史 創業者はヴィヴィアン・イザベル・スウィア。1941年4月8日、イギリスのダービーシャー生まれ。 絵が得意で画家志望だったが、生計を立てるためにアート専攻の教師の道に進む。既に2児の母であったが、「ビートルズ」やミニスカートを着て有名になるモデル「マリー クワント」の影響を受けて大学に再入学し歴史を学ぶ。大学時代に出会ったのがマルコム・マクラーレン。彼は反体制派でヴィヴィアン ウエストウッドは大きく影響を受ける。71年、マルコム・マクラーレンとともにキングスロード430番地にブティック「レット・イット・ロック(LET IT ROCK)」をオープン。マルコム・マクラーレンのファッションセンスは進みすぎており、生産する引き受け手がいなかったためヴィヴィアン・ウエストウッドが生産することに。これがきっかけで、デザイナーの道を歩むこととなった。当時のファッショントレンドはヒッピールックだったがそれを拒否し、ロックをコンセプトとした挑発的なファッションを発表。その作品がロックミュージシャンを中心としたロンドンの若者たちからの熱狂的な支持を得た。72年、店名を「トゥーファストトゥリブ・トゥーヤングトゥダイ(Too Fast to Live, Too Young to Die)」へ変更とともに、ロックをコンセプトしたファッションからレザージャケットなどを中心としたファッションへとシフトした。74年には「セックス(SEX)」に改名。落書きやラバーカーテンの飾り付けの店内に、レザーボンテージなどのセックスやフィティッシュをモチーフとしたデザインが多用された。76年には「セディショナリーズ(Seditionaries)」に変更した。マルコム・マクラーレンは、ショップ「SEX」に出入りしていた若者に、ヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインした過激な服を着せて反社会的なロックバンド「セックスピストルズ」として世に送り出す。同バンドは革新的で、若者の間にパンクブームを起こし、マスメディアは、これを「パンクロック」と命名した。瞬く間にヴィヴィアン・ウエストウッドの洋服は注目の的となり、パンクファッションとして脚光を浴びることとなる。前衛的かつ反抗的なパンクファッションはすさまじいスピードで流行し、「パンクの女王」と呼ばれ更に熱狂的な支持を得る事となる。80年、ヴィヴィアン・ウエストウッドはデザイナーとして新たな展開を模索、マルコム・マクラーレンのアドバイスにより、歴史や伝統よりインスパイアを受けた創作活動を始める。この時期に改装した「ワールドエンド(Worlds End)」はその影響を受け、ガリオン船(古い帆船の一種)をイメージしたロマンチックな装飾となった。なお、現在でもキングスロード430番地に存在をしている。81年、コレクションを発表。テーマは「パイレーツコレクション」、海賊の黄金時代をイメージしたプレゼンテーションの成功によりヴィヴィアン・ウエストウッドは「アバンギャルドの女王」と称されるようになる。82年、2店目のブティック「ノスタルジア・オブ・マッド(Nostalgia of Mud)」オープン、考古学の発掘現場をイメージし、壁には世界地図、内部には泥が積み上げられたディスプレイが施されていた。この年に発表した秋・冬のコレクションも泥の色に染め上げられていた羊革のジャケットやボロボロのスカートが用いられノスタルジックな雰囲気が表現される。83年には、満を持してパリコレクションに登場。イギリス人デザイナーとして2人目のパリ・コレクションの参加。秋・冬コレクションで「ウイッチーズコレクション」を発表。グラフィックアーティストである「キース・ヘリング」の作品からインスパイアを受けて誕生したこのコレクションは、特大のジャケットやコートに、ジャガードのボディやチューブスカート、尖った帽子などを組み合わされた「ウイッチーズ(Witches:魔女)」をイメージしたデザインとなった。このコレクションがマルコム・マクラーレンと最後の共同作業となり、以後、パートナーシップを解消した。84年に新しいパートナーであるカルロ・ダマリオとイタリアに移住。この年に発表した「ヒュプノスコレクション」は蛍光塗料が施された素材やスポーティなルックスのデザインなど、過去の既成概念にとらわれない斬新なデザインが表現される。このコレクションがきっかけに「The Best Of Five」に選ばれ、東京でのコレクションの発表、招待時に大きな注目を集める。更に、自身のウエスタン映画への憧れより誕生した「クリント・イーストウッドコレクション」を発表。東京のネオンサインからインスパイアされたデザインが注目を浴びる。この年はヴィヴィアン・ウエストウッドがファッションの方向性を変えた重要な年といわれている。「伝統をもって未来を創る」という創造性を象徴するブランドロゴ「オーブ(ORB) 」もこの時代より使用。86年にフランス革命からインスパイアされたミニ丈のクリノリンスタイルを、87年にはロイヤルファミリーからインスパイアされたハリスツイードを発表し注目のブランドに。更に88年、中世の衣装を忠実に再現するというデザインコンセプトよる「タイムマシンコレクション」、89年、過去への旅行がテーマに18世紀のフランスの衣装を参考にデザインされたコレクション「ボヤージュ・トゥ・キュテラコレクション」発表。この頃から「伝統をもって未来を創る」というヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインコンセプトを明瞭に表現する創作活動が活発になる。89年に『Chic Savages』により「世界の優れた6人のデザイナーの1人」となる。91年、春夏から本格的にメンズコレクションに参入した。またファッションサミットへ参加、再び東京でコレクションを発表。この年に「British Designer of the Year」に選ばれる。92年、エリザベス女王より「大英帝国勲章(O.B.E.:Officer of the British)」を受賞。更に再度「British Designer of the Year」に選ばれる。96年には、メンズライン、ヴィヴィアン・ウエストウッド マンでミラノコレクションに初参加を果たす。93年に、レディースラインをメインのヴィヴィアン・ウエストウッド ゴールド・レーベルと、セカンドのヴィヴィアン・ウエストウッド レッドレーベルに分離させた。近年では、英ヴァージン・アトランティック航空の制服デザインを請け負うなど、新たな取り組みも興味深い。98年、ヴィヴィアン・ウエストウッドの特色を余すことなく表現し、カジュアルに着こなせるメンズ・レディスウェアラインとして「Anglomania(アングロマニア)」の発表。2001年ファッションデザイナーとして初めて「モエ・シャンドン・ファッショントレビュート」の受賞者に選ばれる。2006年になるとファッションデザイナーとしての貢献を讃えられ「DAME」の称号を授与されている。直近では、アンドレアス・クロンターラー フォー ヴィヴィアン・ウエストウッドとして2016年秋冬コレクションを発表。「ヴィヴィアン・ウエストウッド ゴールド・レーベル(VIVIENNE WESTWOOD GOLD LABEL)」からブランド名を変更後、初の披露となった。「SEXERCISE」という一見過激な言葉をテーマに掲げたが、ルックはどれも穏やかな印象。社会的メッセージを強く押し出したこれまでの作風とは一転し友人や家族とのエピソードが添えられた暖かみを感じるものだった。ヴィヴィアン・ウエストウッド自身が引越しを通して、母の衣服やジュエリー、学生時代のグッズ、お祭りの衣裳など、久しぶりに目にするものが屋根裏から見つかったというエピソードにインスパイアされたコレクションは、ふと思い出を彷彿とさせてくれる。2016年、これまで多くのラインを生み出してきたヴィヴィアン・ウエストウッドはラインの統廃合の動きを見せた。理由としては「多くのラインを発表してきた。しかし、分かりづらくなり、混乱を招きかねなくなってきたため」としている。統廃合後は、「ヴィヴィアン・ウエストウッド」と「アンドレアス・クロンターラー フォー ヴィヴィアン・ウエストウッド」をメインとし、「ヴィヴィアン・ウエストウッド アングロマニア(VIVIENNE WESTWOOD ANGLOMANIA)」とアクセサリーラインを展開する方針で固まった。本国の「ヴィヴィアン・ウエストウッド レッドレーベル」は「ヴィヴィアン・ウエストウッド」に統合した。 ■プライベート ヴィヴィアン・ウエストウッドのクリエイティブ・ディレクターであるアンドレアス・クロンターラーと公私共にパートナー関係にある。始まりは1988年。当時ヴィヴィアンは大学の教師として教鞭を振るっていたところに、教え子として出会ったのがきっかけ。二人は、創作の場で意気投合し、翌年から共にコレクション製作を始めた。後にヴィヴィアンは当時のことを、「彼は当時まだ学生だったけれど、何をどうするべきかというディレクションをすべて分かっていた」としている。交際期間を経て、1993年に二人は結婚。以降、ビジネスとプライベートの強い絆で結ばれた2人は常にファッション界をリードするパイオニア的存在として認識されている。型破りなデザイナー人生を送ってきたヴィヴィアンを支える、アンドレアスは質の向上を常に追い求めてきた。唯一無二のコラボレーションによって、今後もヴィヴィアン・ウエストウッドのプロダクトは更に進化を求める。 ■日本での活躍 日本では1996年に旗艦店として「ViVienne Westeood Tokyo」を日比谷に開店。2003年に青山に移転、すべてのラインを揃えた「ヴィヴィアン・ウエストウッド青山」をオープン。ブランドラインごとのショップと百貨店内の出店にて、札幌・盛岡・仙台・横浜・宇都宮・新潟・金沢・名古屋・静岡・大阪・京都・神戸・広島・松山・福岡・熊本・鹿児島・北九州と、全国において多様な業態にて展開している。また、2005年公開の映画『NANA』にて主人公が愛用するブランドとして使用された。 ★ヴィヴィアン・ウエストウッド 注目コレクション: ・2017春夏メンズコレクション | ミラノ ・2016-17秋冬プレタポルテコレクション | パリ ・2016-17秋冬メンズコレクション | ミラノ ★ヴィヴィアン・ウエストウッド 注目記事: ・ヴィヴィアン・ウエストウッドの新しい雨傘はハンウェイ... ・ヴィヴィアン・ウエストウッド、半生を自ら綴った自叙伝... ・ヴィヴィアン・ウエストウッド、自身のショーで政治的... ★ヴィヴィアン・ウエストウッド 注目動画: ・Season 1-トップヘアスタイリスト、グイド・パラオが語る... ・Season 1-コスチューム協会会長アンドリュー・ボルトン... ・Season 1-グウェン・ステファニー、アンチ・ファッションだった彼女... ★ヴィヴィアン・ウエストウッド コレクション一覧TOPページ: ★関連キーワード: ヴィヴィアン・ウエストウッド レッド・レーベル / アンドレアス・クロンターラー フォー ヴィヴィアン・ウエストウッド ★関連サイト: ・VOGUE (UK) ・VOGUE GIRL ・GQ JAPAN ★SNS: ・Facebookでヴィヴィアン・ウエストウッドを見る ・Twitterでヴィヴィアン・ウエストウッドを見る ・Instagramでヴィヴィアン・ウエストウッドを見る ・ヴィヴィアン・ウエストウッド公式サイト ★PHOTOS: