昨今は男性が大手メゾンのクリエイティブを率いるということがもはやお決まりとなっていて、女性がトップのポジションに抜擢されることは滅多にない。とはいえ、数十億ドル規模のラグジュアリーファッション業界で活躍する女性がいないわけでは決してなく、多くが自身のブランドを手がけているだけだ。そこで『VOGUE』は、現代のファッションシーンの先頭を走る26人の女性インディペンデント・デザイナーたちに、クリエイティブ面とビジネス面で影響を受けた女性たちについて聞いた。彼女たちの回答は多岐にわたったが、ヴィヴィアン・ウエストウッド、ミウッチャ・プラダ、そして川久保玲の名前はやはり幾度となく挙がった。ウエストウッド、プラダ、川久保の3人はそれぞれ唯一無二の揺るぎないヴィジョンで一大帝国を築き上げ、何十年にもわたる活躍を通して同年代や次世代のデザイナーたちに、トレンドに左右されない、時代を超越する創造性の手鑑となってきた。
彼女たちのように「あなたに影響を与えた女性デザイナーは誰ですか?」──アナ・スイからガブリエラ・ハースト、セシリー・バンセンまで、世界を舞台にする26人が答える。
1. バットシェバ・ヘイ(BATSHEVA/バットシェバ)
「ヴィヴィアン・ウエストウッド、ノーマ・カマリ、アナ・スイの3人が真っ先に頭に浮かびます。彼女たちそれぞれを見ていると、デザイナーと服が通じ合っているのが感じられます。ヴィヴィアンにとっては常に彼女自身が一番のモデルで、彼女ほど服にカリスマ性とユーモア、エッジをもたらせる人はいませんでした。ノーマが作り上げた世界は力強く、センシュアルで革命的ですし、アナは本当にたくさんのものを参考にして作品につぎ込んで、彼女のレンズを通して見る世界がいつも大好きです」
2. アナ・スイ
「私は70年代の始めにニューヨークに来て、自分がフェミニストかどうかは考えたことがなかったのですが、今思うといつも女性のもとで働いていました。上司が男性のときは長続きしなかったですし、当時は普通に『お嬢ちゃん、ちょっとこっち』とか言われるような時代で、女性の扱い方に対する考え方が丸切り違ったんです。名前さえも知られずに『お嬢ちゃん』呼ばわりされることが、私はずっと納得できなくて。本当に生き生きとした女性たちに出会えて、本当に素晴らしい上司に恵まれて、多くのことを学びました。彼女たちは確かなヴィジョンと服作りに関する深い知識を持っていたので、上層部に対してさえも権限がありました。ただ勘に頼って服を作っていたのではなく、彼女たちは服の作り方を本当に理解していたんです。
大学(パーソンズ・スクール・オブ・デザイン)2年生の頃、変わったブティックやエッジの効いた新進気鋭のデザイナーを取り上げる『ラグズ』という雑誌があったんです。そこにチャーリーズ・ガールズ(CHARLIE'S GIRLS)というレーベルを手がけるエリカ・エリアスという女性が載っていて、彼女のブランドが打ち出す広告が大好きでした。(あるとき)先輩2人がチャーリーズ・ガールズの求人について話しているのを小耳に挟んで、学生時代の作品を集めたポートフォリオを脇に抱えて急いでエリカのもとを訪ねたんです。そうしたら採用してもらえて、そのまま働き始めたのでパーソンズには戻りませんでした。採用が決まると、彼女は私に専用のデザインルームを与えてくれて、ドレーパー1人(テキスタイルを扱う商人)と裁縫職人も2人つけてくれました。部門は4つあって、私はその中で何でも好きなことをやってよくて。エリカはリサーチにとにかくこだわる人で、例えば最高のギンガムチェック生地を探すとなると、最低発注数量の値段は予算に収まるか、欲しい色で展開されているかなど、とことんリサーチして、彼女にいろいろな選択肢を与えなければなりませんでした。本当にこだわりを持っていて、誰かに任せるのではなく、自分の目でしっかりと最善のオプションを見極めて選ぶ。とにかくとても、とても律儀な人で、そんな彼女から生地市場のすべてを学びました。エリカのもとで働けば、どこへでも行けると言われるほど厳しい上司でした。ですので、初めての仕事が彼女のブランドで、本当に幸運だったと思います」
3. レイチェル・コーミー
「ニューヨークに引っ越してきたとき、自分の店を持っていたり、それぞれのやり方で素晴らしいコレクションを発表しているデザイナーをたくさん発掘しました。
例えばブルース(BRUCE)というとてもシックで面白いラインを展開していたニコール・ノゼリとダフネ・グティエレス。女性ならではの強さを感じるドレープのテーラードルックを多く手がけていたんです。それにカタヨネ・アデリとマグダ・ベルリナー。アデリは細身のロングラインやスリムフィットのレザージャケット、ボディコンシャスなシルクニットなど、クールで挑発的なアイテムが揃う雰囲気のショップをボンド・ストリートに構えていて、ベルリナーはドイリーやテーブルクロス、古い生地で作った一点もののコレクションを打ち出すアップサイクルとドイリードレスのパイオニアで、ものすごく面白い生地やシルエットの掛け合わせをする人です。当時はルックブックのモデルも自身が務めていました。
ジェーン・メイルもそうですね。彼女もまた、ユニークなビジョンを持つデザイナーです。いつもグラマラスなのに、適度な破壊力を秘めている。そしてブーツやデニムなど、魅惑的なアイテムを毎回打ち出していたダリルK(DARYL K)。ほかにもユナイテッドバンブー(UNITED BAMBOO)の青木美帆、スーザン・チャンチオロ、レベッカ・ダネンバーグなど、当時はそれぞれに個性がある、ひと味違うデザイナーが何人もいたんです。今挙げた女性たちは、レディースウェアのあり方を前進させる、影響力のあるデザイナーになる素質を当時から垣間見せていました」
4. キャサリン・ホルスタイン(KHAITE/カイト)
「ミウッチャ・プラダ。彼女は挑み、境界線を押し広げながら観察し、探求し、創造する人です。そのこだわりと一貫した姿勢は見る人と着る人にも明らかで、すべては常に進化し続ける対話であるという考えを超越しています」
5. マーガレット・ハウエル
「3人の女性デザイナーが思い浮かびます。ミニマルで、気取らず、エレガントだったジーン・ミュア。同じくジル・サンダー。彼女はどちらかと言うと洗練されたスマートさではなく、カジュアル・エレガンス寄りでしたけれど。そしてワークウェアにインスパイアされながら、メンズとウィメンズウェア、両方に平等をもたらしたキャサリン・ハムネット」
6. トリー・バーチ
「アメリカンスポーツウェアの生みの親であるクレア・マッカーデルは、1940年代に私たちの服の着こなし方に真の革命をもたらしました。バレエシューズにラップドレスにスパゲッティストラップなど、彼女のアイデアの多くは今では当たり前のものとなっています。初めてドレスにポケットをつけたのも、コルセットの代わりにホックを使ってウエストを強調し始めたのも、体の動きを妨げるのではなく、体とともに動くように生地をカットし始めたのも彼女でした。すべてが意図的で、意味のないものはひとつもなくて、華やかさと同じくらい着心地のよさを重要視していました。そして何より、クレアは誰のためでもなく『自分のために服を着る』勇気と自信を女性に与えたのです」
7. ローラ&ディアナ・ファニング(KIKO KOSTADINOV/キコ コスタディノフ)
「一大ビジネスを築き上げ、大成功を収めているミウッチャ・プラダと川久保玲が、私たちが思う傑出した女性デザイナーです。誰かの会社組織に所属するのではなく、自分で事業を立ち上げることが、世界で存在感を示すおそらく唯一の方法なのかもしれませんね」
8. マルゲリータ・マッカパニ・ミッソーニ(MACCAPANI/マッカパニ)
「まず、母のアンジェラと祖母のロジータについて語らずにはいられません。祖母は私が産まれたときミッソーニ(MISSONI)のクリエイティブ・ディレクターで、私が13歳のときに母が彼女の後を継ぎました。ファッションと創造は、私が生涯を通じて触れてきたひとつの美学です。自分のセンスも、この仕事に就きたいという気持ちも間違いなく2人の影響があってこそで、起業家精神も彼女たちから学んだことのひとつです。
とはいえ、ミッソーニのクラシックなパターンは私はとても『普通』と感じていて、かなりかけ離れたものから刺激を受けます。となると、おそらく一番インスピレーションをもらった女性デザイナーはヴィヴィアン・ウエストウッドですかね。彼女のスタイルに惹かれますし、それを貫き続けた姿勢に憧れますし、クリエイティブ・ディレクターとしての生き方やプラットフォームの活用の仕方にインスパイアされます」
9. ヒラリー・テイモア(COLLINA STRADA/コリーナ ストラーダ)
「男性中心の世界で活躍し、ルールを破り続けた女性だったヴィヴィアン・ウエストウッドは、私の永遠のインスピレーションです。彼女はアクティビストの先駆者であり、独自のクリエイティブなヴィジョンでファッションと政治のバランスをとっていました。カルチャーを模倣するのではなく、自ら創造するデザイナーは稀です」
10. ルシンダ・チェンバース(COLVILLE/コルヴィル)
「ミウッチャ・プラダやジル・サンダーをはじめ、これまで(さまざまな)女性と仕事をすることができてものすごくラッキーです。ミウッチャとは長年関わっていましたし、マルニ(MARNI)時代の旧友モリー・モロイとは15年以上の付き合いで、今でもコルヴィル(COLVILLE)のパートナーとして一緒に働いています。
若手の頃はヴィヴィアン・ウエストウッド とダナ・キャランの2人が私にとって、自分のクリエイティブ・ヴィジョンを育むダイナミックでパワフルな女性たちの最高の手本でした。単なる偶然かどうかはわからないんですけれど、実は男性のデザイナーとは一度も肩を並べて仕事をしたことがなくて。とはいえ、今まで携わってきたブランドなどの男性経営者たちは常に寛大で先見の明があり、私はいつも自由に創造することができました。しかし、女性の役員やCEOがいないことは事実です。ずっと以前からそうで、非常に残念なことです。男女間のバランスがあることで、より健全で収益性の高い会社になることは統計的に証明されています。これは、私たち全員が目指さなければならないことなのです」
11. モリー・モロイ(COLVILLE/コルヴィル)
「これまでベラ・フロイド、ベティ・ジャクソン、コンスエロ・カスティリオーニ、J.J.マーティン、そしてもちろんルシンダ・チェンバースなど、自分のビジネスで成功していて、生まれ持った才能がある素晴らしい女性たちと一緒に仕事をする機会に恵まれてきました。彼女たちは皆、戦い、教え、育て、与える刺激的なリーダーであり開拓者です。個性的で、目標に向かって突き進む人たちです。憧れの存在である彼女たちと仕事ができたことに感謝していて、誇りに思っています。彼女たちからもらったインスピレーションは、私を女性として、そしてクリエイティブとして前進させてくれました。マルニ在籍中に自分の雑誌を創刊するよう後押ししてくれたのはコンスエロとルシンダで、コルヴィルを(ルシンダ・チェンバースとクリスティン・フロスと)立ち上げるよう説得してくれたのはベティです。J.J.はコルヴィルをいつも応援し、自分のブランドのプレゼンテーションしているときでさえ、ジャーナリストたちにコルヴィルをチェックするよう促してくれて。他人のクリエイティビティに怯えるどころか徹底的に後押しし、コルヴィルのレベルを引き上げてくれました」
12. カーリー・マーク(PUPPETS AND PUPPETS/パペッツ アンド パペッツ)
「ルー・ダラス(LOU DALLAS)のラファエラ・ハンリーに出会わなければ、パペッツを始めることはなかったと思います。彼女の初期の頃のショーに何度か出演したんですけれど、企業的ではない、いちアーティストの手によるファッションを間近で体感することができました。自分が望んでいる形になるようにうまく物作りをするところをとても尊敬しています」
13. ガブリエラ・ハースト
「間違いなくエルザ・スキャパレリ。どれくらいの人が知っているかはわからないですけれど、彼女は初期のコレクションのひとつを、アルメニア難民と一緒に作ったんです。ニットウェアのコレクションでした。
1940年代と50年代は女性がデザインの主導権を握っていました。ジャンヌ・ランバン、ガブリエル・シャネル、スキャパレリ、(クロエ(CHLOÉ)の)ギャビー・アギョン、マダム・グレ、ヴィオネ(VIONNET)。まさに女性主導でした。でも、個人的にはヴィヴィアン・ウエストウッドが突出していると思います。スキャパレリもウエストウッドも、時代を超越した視点で物作りに取り組んでいました。例えば、ヴィヴィアン ウエストウッドの『パイレーツブーツ』。あれは1700年代からあるもので、彼女のデザインは1976年に打ち出されたものです。つまり、47年間も魅力が色褪せないブーツを彼女は世に送り出したんです。でも、これはデザインだけの観点から語ったヴィヴィアンのすごさで、彼女のスタンス、そしていかに革新的な人であったかも忘れてはいけません。まだ健在のデザイナーで言うとミウッチャ・プラダがインスピレーションです。彼女の一貫性と進化し続けるところに憧れます」
14. ウィリー・ノリス(OUTLIER/アウトライアー)
「私がイザベル・トレドの名前(と作品)を知ったのは2005年のことでした。ノーマン・ジーン・ロイがニューヨークのスタジオで撮影した彼女と夫ルーベンの写真を『VOGUE』で見て。高校2年生で、自分が服に心を動かされること、そして服を通して世界に自分を表現できることに気づき始めた頃でした。イザベルについて知るにつれ、彼女を勝手に自分のメンターみたいに思うようになって。自分と同じように実践と独学で学び、世を渡る彼女を手本にしていました。アメリカ人ファッションデザイナーであることを高らかに謳い、クチュールやハンドワークと同じくらいに大量生産と機械を活用することを愛していたところが好きです。
イザベル・トレドはクリストバル・バレンシアガの真の継承者だと私は思います。彼女のデザインは遊び心があり、徹底していて、いかにも“ニューヨークっぽい”。(ジェンダー)トランジッションを始めたとき、彼女がいかに女性ならではの方法で自分自身のためにデザインをしていたかに改めて気づいて。作者と作品の間に、ほんのわずかな隔たりしか残さない方法で制作をしていたんです。残念なことにイザベルは2019年に乳がんのため亡くなって、会うことは叶いませんでした。でも彼女の作品を通して、彼女のことを知り、彼女から学び続けているような気がします。最高のデザイナーが常にそうであるように、類をみない、つむじ曲がりでこだわりの強い人でした。弱気になっているときや何もやる気がしないとき、賞や表彰されることでしか才能は決まらないと思っているとき。そんなときは彼女のことを思い出して、再び自分の仕事に向き合います」
15. ローラ・マレヴィ(RODARTE/ロダルテ)
「(この業界の)ガラスの天井の多さを考えると、逆に自分に影響を与えなかった女性デザイナーがいるのだろうかと自分自身に問いたいです。同年代のデザイナー、駆け出し時代をともに過ごした人たち、120年前にブランドを始めた人たち。その全員にインスパイアされています。インスピレーションとしてまず誰かを挙げるとしたら、カロ・スールズですかね。(私たちのように)この業界で志を同じくする姉妹だったので。ノーマ・カマリもとてつもない才能の持ち主だと思います」
16. ケイト・マレヴィ(RODARTE/ロダルテ)
「女性を解放し、自由を謳歌する服作りをしたという意味では、(マドレーヌ)ヴィオネは私たちに大きな影響を与えていると思います。彼女は生地からインスピレーションをもらい、自然と素材を引き立てていたように感じていて。多くのデザイナーは、シルエットや『ドラマティックなシルエットを作る』ことを重要視していると思います。でも、ヴィオネが作るシルエットは、ドラマがありながら実際にリアルクローズとして纏いたいと思えるもので。確かに彼女が活躍していた時代は、自由に動けるような服を手に入れることは人々にとって本当に解放的なことだったんです。
マダム・グレも私にとって大きなインスピレーションですね。優れた技術の持ち主で、本当に才能がありました。ファッションの世界では、ボリューム感のあるルックを作ることでショーにインパクトやドラマ性をもたらせることが多いです。しかし彼女の作品にはちゃんと意思があり、この上なく複雑なので、ボリュームなどに頼る必要はありません。メガネなどは再現するのはほとんど不可能と言っていいと思います。ソニア・リキエルからもかなり影響を受けていて、彼女のスピリットがとにかく好きなんです。あとは、川久保玲も。彼女は天才です。憧れている女性デザイナーは本当にたくさんいて……。挙げればきりがありません」
17. シンシア・マーヘッジ(RENAISSANCE RENAISSANCE/ルネサンス ルネサンス)
「偉大なるマダム・ヴィオネやマダム・グレから、川久保玲、アン・ドゥムルメステール、ヴィヴィアン・ウエストウッド、マーティン ローズまで、影響を受けた女性デザイナーが多過ぎて、全員を挙げることはできません。もちろん、一番のインスピレーションは母です。最近、女性がメゾンに起用されないという話題が多々上がりますけれど、母から学んだことのひとつは、自立することの大切さと喜びです。
私たち女性は、ファッション業界の構造が男性のためになるようにできているとわかっているので、自分たちで活躍の舞台を用意します。なので、これほど多くの偉大な女性たちが自分のファッションハウスを経営し、素晴らしいレガシーを築いているのは当然のことだと思います。私たちは、大きなメゾンに指名されるのをただただ待っている世間知らずなお嬢様ではないです──自分たちの手で、自分たちのファッション王国を築いています。世界が私たちの才能に気づいてくれるのを待っている暇なんてないのです」
18. セシリー・バンセン
「自分のブランドを立ち上げるまで、たくさんの素晴らしい女性のもとで働き、学びました。その中でも特に印象残っているのはコペンハーゲンの王立劇場とジョン ガリアーノ(JOHN GALLIANO)で一緒に働いたアニャ・ヴァン・クラーです。彼女には本当にお世話になって、フランスクチュールとは何かを教えてくれました。彼女から学んだディテールやクラフツマンシップへのこだわりは、デザイナーとしての私に大きな影響を与え、私が作るすべてのコレクションに活かされています。ミウッチャ・プラダもずっと尊敬しています。時代を超越しながらも、個性あふれる、芯のあるフェミニンなスタイルを創り上げているところに昔から憧れていて。彼女は、50年後も今と同じように愛される作品を生み出す人です」
19. メリッタ・バウマイスター
「デザインは私にとって最も大切なものであり、ビッグメゾンのトップポジションに女性がいないことはデザインとは何の関係もありません。何世紀も続いている社会全体のアンバランスの現れで、これらのメゾンがいかにインテグリティ(誠実さや真摯さ)に欠けるかを明らかにしています。通説に反して、ビッグメゾンでは『クオリティの高いデザインが生み出せる』というのは(クリエイティブ・ディレクター)の必要条件のひとつに過ぎず、それよりも優先される事柄の方が多いことは明白です。作品そのものの良し悪しを決めると思われている偏見や思い込みがなんだかは、想像に容易いですよね。本来最も焦点を当てられるべきことが、軽視されていることの方が遥かに多いんです。
学生の頃は、ある種の度胸と大胆さを秘めたデザインにいつも心揺さぶられていました。もちろんその中には女性デザイナーによるものもありました。男性なのか女性なのか。その区別はデザインのクオリティについて全く何も物語らないので、私にとってはあまり重要ではなくて。至らない仕事は性別を選びません。
私の心に響くデザイン、デザイナーとチームには人柄、こだわり、クリエイティビティへのアプローチに共通点があります。マダム・グレもその一人です。彼女のことを知る前から、彼女の作品は私には際立っていました。そして、彼女が当初は彫刻家を目指していたことを知り、それがモデルに直接ドレーピングする手法やパターンメイキングへのアプローチを見直すことにつながったのかもしれないですね。また、彼女の果敢さと時代の課題に立ち向かう真摯な姿勢にも惹かれます。これらすべてが、私自身の作品とスタジオに反映されています。
マダム・グレには一度も会ったことはないんですけれど、私たちは同じような道筋を辿って、互いに共鳴し合う作品を作るようになったと感じています。心の中では肩を並べて考えて、デザインしている気がしていて。このつながりを大切にして、後世に引き継いでいけたらと思います」
20. レイチェル・スコット(DIOTIMA/ディオティマ)
「アイコンであり、偉大な存在であるミセス・プラダ。言うまでもないです。いつか彼女に会って、一緒にチャーチ(CHURCH'S)とのコラボを手がけたくて(笑)。彼女は本当に知的な人で、知性の高さには大いに感化されます。そして繊細なコレクション作りをする人でもあります。ラフ・シモンズと共同で作っているコレクションは個人的にはそこまで好みではないのですが、その直後に彼女がミュウミュウ(MIU MIU)から打ち出し始めたデザインは大好きです。彼女は常識と期待を覆す女王だと思いますし、超コマーシャルなビジネスを展開しながら、抽象的なアイデアをとても巧みな方法で形にします。
彼女のビジネスもまたインスピレーションとなっています。ディオティマ(DIOTIMA)の実店舗を作るとしたら、ジャマイカのキングストンにアトリエと美術展や映画上映もできるカルチャースペースを作りたくて。言ってみればプラダ財団のコンセプトと同じですね。ミセス・プラダは独自の道を進む、謙虚な天才です。ラフを(プラダ(PRADA))の共同デザイナーに迎えるなど、ほかの人はまずやらないようなことをやります。いつか彼女と一緒に食事ができることを願うばかりです」
21. ジョハンナ・オーティズ
「女性のために創造する女性が大好きで、ファッション界で道を切り拓き、独自の視点を世界と共有する女性デザイナーを深く尊敬しています。会社を指揮る方法や女性としての生き方など、あらゆる面で影響を受けてきたので、私自身がインスパイアされたデザイナーを挙げればきりがないです。ラテンの雅びたエレガンスを世界に初めて紹介したキャロリーナ・ヘレラに、職人たちとのコラボレーションと伝統とクラフツマンシップを重んじたマリア・グラツィア・キウリ。女性と女性のエンパワーメントに真摯に向き合ったダイアン フォン ファステンバーグ。ファッション界において一時代を築いたフィービー・ファイロ。そしてサステナビリティとより良い物作りに対する世間の関心を高め、話題の中心に据えているステラ・マッカートニーとガブリエラ・ハーストなどです」
22. アシュリン・パーク(ASHLYN/アシュリン)
「フィービー・ファイロは卓越した芸術性と商業的な成功を独自の方法で収めた、私が尊敬する女性デザイナーの一人です。彼女は最近、自身の名を冠したレーベルを立ち上げ、クリエイティブ・ディレクターとビジネス・オーナーを兼任しています。私も同じクリエイティブ・ディレクター兼ビジネス・オーナーとして自分のブランドのクリエイティブヴィジョンとプロセス、そしてビジネス面のすべてを統括する立場にあるので、彼女はインスピレーションの源です。
最高の作品とサステナブルなビジネスは、フィービー・ファイロのようにコマーシャルな面と芸術的な面をうまく両立させなければ生まれません。バランス、困難から立ち直る力、適応力、忍耐力。これらはすべて、女性デザイナーに必要不可欠な資質です。そして、これらを兼ね備えた人たちの後ろにはいつも、聡明で偉大な女性がいるのです。近い将来、人々に知恵とインスピレーションを与える女性のクリエイティブ・ディレクターがファッション界で増えることを切望しています」
23. ニッキー・ジマーマン(ZIMMERMANN/ジマーマン)
「個人的に大好きで普段から着ている女性デザイナーはたくさんいて、一人に絞るのはいつも難しいです。プリント好きな私にとって、特にヒーロー的な存在なのがテキスタイル兼ファッションデザイナーのセリア・バートウェルです。彼女のデザインアーカイブはすごくて、昔からずっとセリアが手がける大胆なプリントが大好きで。彼女はまた、60年代から70年代にかけてオジー・クラークと作品を作ったり、その他多くのデザイナーと一緒に何十年にもわたって本当に素敵なプリントを生み出してきました。どれも本当に素晴らしくて、ファッションに落とし込まれたときのあのタイムレスな感じを出すのはそう簡単なことではないです。ずっと前から刺激を受けているデザイナーでありアーティストです」
24. ローレン・マヌーギアン
「私は服を中心とした物作りをしていますが、服をテキスタイル、オブジェ、器としてとらえているので、自然とアンニ・アルバースが頭に浮かびました。彼女の素材への実験的なアプローチとパートナーと密接にコラボレーションする姿勢に共感し、自分の作品と共通する部分があると感じています。さまざまな表現手段や視点を横断して創作プロセスを進化させたところにインスパイアされますし、彼女の素材への探究心にはいつまでも魅せられます。商業的なプロジェクト、アート、リサーチをバランスよく行いながら、伝統とクラフトをモダンに方向づけるところからは本当に刺激を受けていて。私は毎日、手に取れる商品を作っていますが、「創作したい」という初期衝動に通ずる、核となる志を持ち続けることが重要だと思います。マーチャンダイジングやマーケティングの枠組みの中で物作りをするというよりは、服は自分のプロセスや用いる手法の延長線上にある産物という考え方に共感しています。そこにこそ、インディペンデントなデザイナーでいるという厳しさがあるんですが、自分の道を切り開く面白さがあります」
25. キャロライン・フウ
「川久保玲とフィービー・ファイロには本当にインスパイアされてきました。デザインだけでなく、彼女たちのルックに込められている精神と力強いメッセージも尊敬していて。困難な状況に置かれても、アイデアを出し続ける姿勢にもいつも背中を押されています。
私自身は、自分の作品の背後にある深い意味をよく考えるタイプのデザイナーなんです。自分のビジョンに忠実であることが、ビジネスとして成り立たないことがあるのは理解していますし、苦境に立たされて夢をあきらめたり、別の道を選んだりするデザイナーを見てきました。本当は間違った道などないし、ファッションの世界は広くて、あらゆるタイプのクリエイティブな才能が必要です。本当の戦いは、周りにすぐに理解されなくても、自分の作品に自分のすべてを注ぎ続けることができるかどうかです。理解されなくても自分がやりたいことを貫き通せば、周りに認められる日は必ず来ます。例えばフィービー・ファイロは、仕事と家庭を両立させることがいかに大変かという話をセントラル セント マーチンズで登壇した際にしていました。女性としてキャリアと家庭を両立させようとすることの難しさについて彼女が語るのを聞いて、本当に考えさせられて。経験を積んで、自分のブランドを持つようになった今、フィービーのような女性デザイナーが持つ強さと犠牲にしてきたものに以前に増して感心させられます。しんどい時は、そんな彼女たちから勇気をもらうんです。言いたいことを言い、自分にとって大切なものを追い求め、人々の心に響くものを作る。それが大切なんです」
26. スプリヤ・レーレ
「ミウッチャ・プラダは私個人にとってインスピレーションの源です。彼女がファッションの世界に足を踏み入れる前は政治学を学んでいて、パントマイムをやっていたのがとても興味深くて。昔からずっと並外れた世界の見方をする人で、それが彼女を現代で最も成功している女性ファッションデザイナーの一人にしたんだと思います。彼女が手がけるプラダとミュウミュウから伝わるどこか不器用で、絶妙な味があり、風変わりで、セクシーな女性像が大好きです。学生の頃は90年代のプラダのものすごくエフォートレスで雑味がないデザインに惹かれて、よく参考にしていました。彼女は本当に格別です」
Text: Laia Garcia-Furtado Adaptation: Anzu Kawano
From VOGUE.COM
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