オードリー・ヘプバーン / Audrey Hepburn
1929年5月4日、ベルギー ブリュッセル イクセルに生まれた女優、「オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)」。本名、オードリー・キャスリーン・ヘプバーン=ラストン。これまでにアカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞を受賞したほか、死後にグラミー賞及びエミー賞を受賞している。映画界及びファッション界のスタイルアイコンで、ハリウッド黄金時代に活躍した女優の1人。 保険会社に務める父ジョゼフ・ヴィクター・アンソニー・ラストンとオランダ貴族の母エラ・ファン・ヘームストラとの間に生まれたヘプバーン。一家は1932年にリンケビークに移住し、ヘプバーンは寄宿学校に入学。1938年、父ジョゼフが当時の子守りと関係を持ったことが原因で離婚し、母エラとヘプバーンは祖父の住むオランダに移住。 プリマバレリーナを志していたヘプバーンは1939年から6年間、アーネム・コンセルヴァトリーにてウィニャ・マローヴァのもとでバレエのレッスンを受講。第二次世界大戦が終結した1945年、母エラとヘプバーンはアムステルダムへと移住し、バレエ教師として評判の高かったソニア・ガスケルのもとでバレエを学び続けた。しかし、ヘプバーンはバレリーナとしての自信を失ってしまう。挫折感を深めていたとき、ブロードウェイ・ミュージカル「High Button Shoes(原題)」のロンドン公演でのコーラスラインのオーディションに参加。応募者3,000人の中から見事選ばれた。その後ミュージカル『Sauce Tartare(原題)』や『Sauce Piquante(原題)』を含む複数の舞台を経験。 女優として頭角を現しはじめたヘプバーンは1953年、映画『Roman Holiday(原題)』でスクリーンデビューを果たした。監督ウィリアム・ワイラーは当初主役にエリザベス・テイラーを希望していたが、スクリーンテストを受けにきていたヘプバーンに魅了され、主役に抜擢された。同作での演技が認められ、アカデミー賞主演女優賞を受賞した。 1954年の『Sabrina(原題)』、1961年の『Breakfast at Tiffany's(原題)』を含むヒット作に出演。1964年に公開された映画『My Fair Lady(原題)』はアメリカのみで3,300万ドルの興行収入を記録。同作は最優秀作品賞含む8部門でオスカーを受賞している。1993年、虫垂癌のため63歳で死去した。